焼印眠りネコ

眠っている姿のネコの焼印を製作しました。昔はよく、近所の家の塀の上の日当たりのよい所で眠っているネコを見ましたが、今は、野良猫自体を見る事もほとんどなくなりました。眠りネコといえば、日光東照宮の回廊にある左甚五郎が彫ったとされる眠りネコの彫刻が有名ですね。言い伝えによると左甚五郎が旅をしていて夜の山道で迷ってしまい、人家を探して歩くうちに、薄明りのともる家を見つけて、軒先にでも泊めてもらおうと思い尋ねたら老婆が出てきて、家に入れてくれ、その時に甚五郎の彫り物を見て驚いた老婆が、是非、日光東照宮の建築に携わった方が良いと勧められ、東照宮でネコの彫刻を彫ったら、本物そっくりで生きているようだといわれ、夜な夜な、彫り物のネコが歩き回ると噂されるようになり、ネコが歩き回らないようにと目をふさぎ眠りネコの彫刻にしたとの事です。残念ながら私はまだ日光に行った事がありません。学生の頃、友人の車で日光のいろは坂をドライブする計画がありましたが、私はちょうど外せない用事が出来ていくことができませんでした。今思えば、東京に長く住んでいたのだから、東武線を使えればすぐに行けるのにもったいない事をしたと悔やんでいます。あまり年を取らない内に夫婦で一度日光へ行きたいと思っています。

眠りネコ焼印
眠りネコ焼印の画像

上の写真は眠っいる姿のネコの焼印を木に押した時の画像です。大きさは、幅20ミリ×高さ8ミリで40W電気ごて仕様で製作しました。よく、サザエさんで猫のタマが縁側でひなたぼっこしながら寝ている姿を見た記憶があります。今の家は縁側のない家が多いので、わからないかもしれませんが、昔の祖母の家には縁側があり、座布団を二つに折って重ねて枕にして縁側で昼寝していました。とても気持ちが良くのんびりとした時間を楽しんでいました。

 

焼印絵文字

一時期、携帯メール等で流行った絵文字の焼印を作りました。私は一応、携帯を持っていますが、電話機能以外は殆ど使いません。仕事をしてパソコンの前にいる時間も長いし、家で仕事をしていますので、固定電話で足りますので、もっぱら、外出時や緊急用の連絡以外には使いません。勿論、ネットもパソコンで済ませますので、スマートフォンではなく、普通の(ガラケイ)携帯電話を使っています。近ごろ、公衆電話ボックスを殆ど見なくなり、先日、携帯電話を持たずに出かけた時、大変困りました。又、一般家庭には固定電話のない家が多いようで友人に連絡するのも携帯電話になってしまいました。そんな私ですが、携帯電話を初めて買った時にはメールも使っていました。まだ当時は、絵文字が一般化していなかったので使っていませんでした。そして暫くすると絵文字が流行して皆がメールに添付して送ってくるようになりましたが、要件以外の文字を打つのが好きでない私は使わず、いつの間にか携帯電話からメールすら送る事がなくなりました。携帯電話は便利で良いのですが、どこにいても電話がかかってくる事があり、少し不便だった昔の方が良かった気がします。

焼印絵文字
絵文字焼印の画像

上の写真は出来上がった絵文字の焼印を木の板に押した時の画像です。一見猫のように見ますが?大きさは、幅20ミリ程で40W電気ごて仕様で製作しました。
普段、絵文字を使った事がなかったので、画像ファイルをもらい、同じ絵文字をパソコンで出すときにうまくいかずに、画像ファイルからトレースして作る事にしました。絵文字ではありませんが、文字変換のフォントによっては、音符の記号や郵便局のマーク等もありますので、その辺は便利に使わせてもらっています。

 

おたるの焼印

「おたる」と平仮名で書かれた小さな焼印を製作しました。この焼印、割り箸に押す為の焼印で、漢字で小樽とすると画数の多い文字がある為に、割り箸に押す大きさまで印面を小さくしたときに読めなくなるかもしれないという事で平仮名にしました。どちらかと言うと平仮名の方がインパクトがあると思います。
今でこそ観光地として有名になった小樽ですが、昔は寂れた港町でした。昭和の初期まではニシン漁が盛んでニシン御殿が建てられる程の隆盛でしたが、ニシンが激減して、漁業の中心は、北洋漁業になりましたが、それも旧ソ連との200海里問題で減船が続き、今ではもっぱら、近海の漁業しかなくなり、漁業が主産業だった町は、観光業に力を入れて観光都市と変わって行きました。只、観光都市と言われる小樽ですが、小樽の観光資源に目をつけて参入している業者の大半は内地資本(小樽の人は本州の事を内地と呼んでいました。)が殆どで地元の業者の数はあまりありません。それこそ、北のウオール街と言われていた頃は、小樽商人と言われるほど商売に長けた人が多かったようですが、現在では、新しいビジネスを起こそうとするような人材は、札幌や東京へ出て行ってしまい、地元のスモールビジネスですら小樽外の資本に食われてしまい、小樽商人は過去の栄光になっています。どこの地方都市でも同じですが、地場産業が衰退すると、新たにできる産業は、外部資本の産業にとって変わられてしまいます。この傾向はこれからも変わらず続くと思います。

焼印おたる
小さなおたるの焼印

上の写真は割り箸に押す為に製作した「おたる」の焼印を木に試し押しした画像です。大きさは、縦12ミリで幅が4ミリ弱ですが、焼印スタンドを使用して押す為に150Wの大型電気ごてを使用しました。

 

焼印アゲハ蝶

蝶の焼印を作りました。羽の感じからアゲハ蝶だと思います。家の周りでもアゲハ蝶はたまに見かけます。息子が小さい頃は一緒に採った事もありましたが、殆どがキアゲハと呼ばれる蝶で、たまーに、アゲハ蝶も採った事があります。数は少ないですがカラスアゲハという黒っぽい蝶も採りました。息子に蝶の標本の作り方を教える為に展翅版という木で出来た蝶の羽を整える器具と展翅テープ、無頭ピン、虫ピンや三角紙、三角カンも買いました。今思えば懐かしい思い出です。私自身は、小学校の頃、蝶ではなく蛾に興味を持ち、蛾の標本を作っていました。今でも覚えていますが、私の爺ちゃん(私が中学の時に亡くなりました。)が採ってくれたアケビコノハというスズメ蛾と呼ばれる種類の蛾を標本にしたときは感激しました。又、日本で一番大きなヤママユ蛾を採って標本にするために展翅板に固定した時の事も忘れられません。アゲハ蝶よりも大きな蛾で、おまけに捕まえたヤママユ蛾の羽が全然傷んでなく、展翅するときには緊張しました。
クワガタよりも蛾の方が好きだったので、夜に補蝶網を持って腰に三角カンをぶら下げて懐中電灯を持って出かけるので何度か、おまわりさんに見つかり注意されたこともありました。よその同年代の小学生が夜、お化けが怖いといっていた頃に、真っ暗な中、街頭の明かりを目指して蛾の採集に夢中になっていたので、周りから変な目で見られていたようです。

アゲハ蝶焼印
アゲハ蝶焼印の画像

上の写真はアゲハ蝶の焼印を木に押した時の画像です。大きさは見た通りの幅25ミリ程で、80W電気ごて仕様で製作しました。

焼印日時計

hitokei(日時計)とかかれたローマ字の焼印を製作しました。小学校の理科の時間に紙にコンパスで円を描いてその中心部分に紙で作った三角形の柱を立てて、太陽の動きに合わせて線を引き日時計を作った事を思い出しました。太古から人間にとって太陽は、朝に登り、夕方に沈む規則正しい動きをしていたので、時間と言う感覚をつかむのには持って来いだったと思います。そんな太陽を使った日時計は古代バビロニア時代からあったようで、あまりにも昔からあるので起源はわからないようです。太陽の動きで時間を表す日時計ですが、今の技術の時計とは違い、大雑把な時間しか計れなかったようですが、現在では、ベルギーのビュートゲンバッハという所に誤差30秒という非常に正確な日時計もあるそうです。
そんな日時計ですが、一番簡単な構造の垂直の柱を1本立てただけのものを、コマ型日時計といい、それ以外に、赤道式、垂直式、極軸式、カルジオイド日時計等があるそうです。又、中世には、旅行者が持ち運びしやすいように折りたたむことが出来るリング型日時計も使われたそうです。

日時計焼印
日時計の焼印画像

上の写真はhitokeiの焼印を紙に押した時の画像です。この焼印、記念品に押す為に作られたもので、記念用の日時計に押したそうです。大きさは写真からもわかる通りに幅16ミリ程で、40W電気ごて仕様で製作しました。この焼印のアルファベットの「i」の上の部分の黒丸、最初はかなり小さくデザインされていましたが、製作出来ないほど、小さかったために、大きくしないと製作が難しいと伝えた所、逆に目立つように大きくした方が面白いという事になり、かなり大きく作りました。

焼印ポロシリ岳

山の形をした焼印を製作しました。十勝ポロシリと呼ばれる十勝幌尻岳の事です。ポロシリとはアイヌ語で「大きい山」という意味で、帯広市と中札内村にまたがる日高山脈襟裳国定公園内にあり、その名の通り標高が2,052メートルあります。日本100名山の一つに入る有名な山で、3つの登山ルートがあり、平取町側のルートから登ると途中に幌尻山荘という山小屋があるが、食事や寝具の用意はなく完全予約制なので使う方は注意が必要、新冠町側のルートから登ると途中、奥新冠ダムを通り新冠ポロシリ山荘という山小屋につき、その山小屋からは本格的な登山道になるとの事です。この新冠側のルートは途中の奥新冠ダムまでは道が整備されていますが、この道は北海道電力がダムの為に設けている道なの一般車両や自転車は通行止めになっており、北海道電力の好意により徒歩での通行は可能だそうです。もう一つの日高町ルートは、日高町を通る国道274号線の途中からチロロ林道に入り、尾根伝いにヌカビラ岳、北戸蔦別岳、戸蔦別岳を通り山頂に向かいますが途中には山小屋はないそうです。

ポロシリ焼印
山の形のポロシリ焼印

上の写真は十勝ポロシリELPASOの焼印を木に押した時の画像です。幅55ミリ×高さ64ミリの大きめの焼印で300W電気ごて用の棒をロウ付けして出荷しました。ご注文頂いた業者さんが、電気ごてメーカーの白光さんと取引があり、そちらから電気ごてを購入するとゆうことで棒だけ取り付けてました。又、場合によっては、メタルアートで扱っていない電気ごてに焼印を取り付けたいとの相談がありますので、その場合には、取付ける棒の太さや長さをお伝えいただければ、どこの会社の電気ごて(半田ごて)でも取り付ける事が出来ます。
ELPASO(エルパソ)は十勝泥ぶたを放牧している牧場として有名で、大自然の中で自由に育った泥ぶたは大変美味しく全国的に人気があるそうです。

自然科学の焼印

natural scienceと書かれた焼印を製作しました。日本語に訳すと自然科学という言葉になります。我々の住んでいる地球も色々な自然の法則によって動いています。毎日、昼と夜があるのも、地球の自転による影響ですし、今年の夏のように酷暑になるのも、太陽や海水温、海流等の自然の法則の影響を受けています。又人間が生きていけるのも、空気中の酸素を体内に取り込んで活動に必要なエネルギーに変換できるからで、身の回りのすべての事が自然科学に関係していると言っても過言ではありません。この自然科学を自分達の生活に活用していくために日夜研究が進められています。近年は異常気象との関係で、地球温暖化が取り沙汰されていますが、人間が活動する事によるco2の排出が原因とされる一方で、それに反する意見を持つ科学者もいます。異常気象に関係すると思われる諸現象や原因がたくさんありすぎて、どれが原因で異常気象が起こるとは言い切れない状況だと思いますが、ハッキリと言えることは、人間の活動が自然に影響を与えていることは確かで、今の段階で、何が原因であるかを議論するよりも、原因だと思われる事柄を出来るだけ排除していくことの方が大事だと思います。
経済活動を続けて、向上を図る事で発展してきた人類ですが、今まで通りの活動からより自然環境に負荷をかけない人間活動への切り替えの時期に来ていると思います。先日、テレビ番組に出ていた科学者の一人が、地球を人の体にたとえると人類は、体中にはびこるがん細胞のような存在だと言っていましたが、なるほどと思う一面もありましたが、どこかの段階で自分たちの住んでいる地球に対して人間の活動がプラスになるようにしていかないといけない事に気づいて行動を起こすことが出来るのも人間だと思っています。

自然科学の焼印
自然科学の焼印画像

上の写真は、自然科学の焼印を紙に押した時の画像です。細めの書体でデザインされた43ミリ×5ミリの細長い焼印で、80W電気ごて仕様で製作しました。
電気ごて式の焼印が細長い場合、電気ごての棒と接している中心部分から熱が伝わるので端々の熱の伝わりを考えて台座部分を厚く作りますが、細長いデザインで台座が厚くなると、横ずれ等のぶれがおきやすくなる弊害が出る為に、台座の厚さをあまり厚くしないで、熱を端まで伝えやすいようにするための補助の細目の横棒を加わえる事もあります。今回の焼印もそんな横棒をつけて製作しました。

矢羽の焼印

弓矢の矢羽を丸で囲んだようなデザインの焼印を作りました。ひょっとしたら、家紋か屋号かもしれません。矢羽は弓から射られた矢の弾道を安定させてなるべく真っすぐに飛ぶようにするためのものですが、今の航空力学にもかなった構造になっているそうです。矢のような長い棒を飛ばす場合、空気抵抗により弾道が安定しなくなり何処へ飛ぶのかわからなくなりますが、矢羽のような空気の流れを調整する機構があれば弾道を維持できるそうです。ライフル銃や拳銃の場合にも弾道を安定させる必要がありますが、この場合には、空気の流れを利用するのではなく、ジャイロ効果と言われる独楽が安定して回る原理を利用して、弾丸に回転を与えて弾道を維持します。このジャイロ効果を利用するために弾に回転を与える仕組みがライフリングで、拳銃やライフル銃の銃身の穴には、らせん状の溝が切ってあり、この溝を利用して回転を与え弾道を安定化させています。只、このライフリングがある事により摩擦が大きくなり、弾の初速が落ちてしまう為に、戦車の大砲のような大きな火器の場合、ライフリングのない銃身を使い、矢羽のような安定翼の付いた砲弾を使う事があるそうです。又、近年では、撃った弾が自分で目標に向けて飛ぶ方向を変えるようなハイテク弾頭もあるので驚きです。

矢羽焼印
矢羽のような焼印

上の写真は矢羽のような焼印を木の板に押した時の画像です。三日月のような輪の中に矢羽がデザインされており、大きさは、20ミリ丸で80W電気ごて仕様で製作しました。

平常心の焼印

四角い枠の中に「平常心」と書かれた焼印を作りました。誰もが平常心を保てない場面に出くわしたことがあると思います。私も、ある劇団の研究生で初めて舞台に立った時の事を今でも鮮明に覚えています。よく、人という字を掌に指で書いて飲み込む仕草をすればいいとか言われていますが、ハッキリといって効果はありません。私がお芝居を教わった演出家の方は、とにかく練習を積み重ねる事が大事で、体に覚えこませる位練習したら後は忘れてしまいなさい。そうして本番の時には思い切り楽しめば良い舞台になります。と言っていましたが、勿論、練習は沢山積んできて、夢の中にも出てくる程でしたが、舞台の袖で1ベルを待っているときには心臓が飛び出るほど緊張してドキドキでした。2ベルがなり、お芝居が始まり、自分の出番になったときには、緊張もほぐれ、平常心に近い状態になりました。もうどうにもならないとの諦めだったのか、偶然的に心が落ちついたのかわかりませんが不思議な状態でした。ところが舞台に出て演技を始めている最中に突然、我に返ったように緊張感が高まりブルブルと震えだした時には驚きました。その後、自分がどんな演技をしたのかわからなく、楽しんで演じるとは程遠い初日でした。ところが二日目は、(2日連続でしたので)あまり緊張もせずに、自分なりに落ち着いて演技をしていましたが、セリフを飛ばすミスをしてしまい、相手のアドリブでどうにか切り抜けた次第です。ところが、打ち上げで皆と話していると2日目の方が出来が良かったと言われたので、なんとなく演出家の方から言われた「楽しばいい舞台になる」の意味がわかったような気がします。中々できない経験をしたと思います。その後、サラリーマン時代に大きな会場で研究説明をすることがありましたが、どうゆう訳か初舞台の時に比べれば余裕でした。

平常心焼印
平常心の焼印

上の写真は、出来あがった平常心の焼印を木に押した時の画像です。この焼印の文字、筆書きのものからトレースして作りましたので、文字が太く、特に「平」の文字の余白が狭すぎて読みにくくなりましたが、作る前にお客様にお伝えしていたのですが、そのまま作って欲しいと言う事で太いまま製作しました。

焼印二重六角枠

六角形の枠が2重になりその中にさらに丸い枠が付き、その中心に苗字が入る焼印を作りました。六角形は強度が高い図形でその六角枠を重ねて内側に丸枠を入れたデザインなので、どんな圧力にも屈しない強い信念を感じます。枠を重ねるとあまりにもかたぐるしくなるので、カスレを枠に入れたのでしょうか?枠が付いた焼印は色々と製作しており、数字を枠のように周りに配置したデザインや花びらを配置した物、変わった物では、「いろはにほへと」の文字を円形に枠のように配置したデザインの焼印も作った事があります。又六重枠の中に「和」と書かれた変わり種の焼印もありました。枠というとコンクリートのような液体状のものを固まるまで保持しておく囲みというイメージですが、周りとの一線を引く場合にも使われたりします。英語ではフレームと言いますが、フレームをいうと建造物の基礎組のような感じがしますね。日本語では世間一般的な慣用を枠にたとえて「枠にはまらない」というような使い方もよく聞きます。今の若い人たちは自分たちの考えを持ち、世間的な枠にはまらないタイプの人間だとある評論家の人が言っていましたが、誰でも若い時には、そのように行動してきたのではないでしょうか? そんなことを言った評論家も自分がある程度の年齢ならないとその事はわからなかったと思います。

二重六角枠焼印
二重六角枠焼印の画像

上の写真は出来上がりました二重六角枠の焼印を木に押した時の画像です。この焼印の大きさは高さで30ミリになり、100W電気ごて仕様で作りました。