足跡の焼印

島田様からのご注文で足跡の焼印を製作しました。見たところ、4本指の足跡ですので熊かもしれないと連想しました。私には、西澤という友人がいますが彼は趣味で砂金採りをしています。数年前に彼に誘われて函館の知内温泉付近の川に砂金取りに行ったことがあります。彼のキャラバンで出かけましたが、装備がすごく、川底を掘り起こすための数種類のスコップや砂金を川砂ごと入れて比重の違いを利用してより分ける板状の器具(呼び方がわからないのですみません)、熊よけの鈴と大型の唐辛子スプレー、又、金属探知機も積んでいます。勿論、唐辛子スプレーは熊に出会った時のためです。彼は、高校卒業後、自衛隊にいて、演習中に熊を目撃したことがあるそうです。演習場の中だったので、仲間と数人で見かけたそうですが、小銃を持っていたのですが怖かったと言ってました。
砂金採りに行った先は小さな川でしたので、どこなのかはわかりませんでしたが、川の横の空き地に車を止めて装備を持って川沿いに上流に向かって歩きました。彼には自分だけの場所があるようで、川原のある場所でとまり探すことになり、最初は、持ってきた金属探知機で周りを探査します。流石に金属探知機で探して見つかるような塊はないそうですが、一度だけナゲットと呼ばれる金の塊を見つけた事があるそうです。私も見せてもらいましたが、試験管のようなガラスの管に入れてあった米つぶ位の大きさのナゲットでした。それを見つけてからは、必ず金属探知機も使うことにしたそうです。残念ながらこの日は、鉄くず位しかみつかりませんでした。その後、川の中に入りスコップで川底の砂をすくい上げコシ分ける作業に入ります。何度かコシ分けていると、キラキラと光る金色の小さな欠片が中に入っていました。余りにも小さいのでよく見ないとわかりませんが確かに金です。その後も砂をコシ分ける作業をして、その小さな金のつぶをスポイトのような器具で吸い上げで、小さなガラス管に入れていきます。同じように川砂をコシ分ける作業を何度も繰り返しているうちに、ガラス管には少量の砂金が溜まっていました。休憩を挟んで、場所を変えたりして半日程作業を続けたので腰が痛くなってきましたので作業をやめました。その後、試験管を確認すると砂金が少量ですが取れていました。彼の話では、今回採れた砂金は2g位あるとの事ですが、単純に金の価格にすると1万円弱という事ですので、車を使いガソリン代をかけて、大人2人で一日ががりで1万円では、採算には合わないですね。趣味としてはお金のかからない方だと思いますが?その後、二人で知内温泉まで行き温泉にのんびりとつかってから家に帰りました。
その後、色々と砂金とりについて聞きましたが、今回行った知内温泉付近よりももっと砂金が取れる場所があるとの事で、その場所は今金町という所で、前に彼はそこで1日で10g以上の砂金を採った事があるそうです。只、その砂金の取れる川には、熊で出るらしく砂金を取りに行って何度も熊の足跡を見つけた事があり、一度は、砂金取りをしている時に、猟師がきて、熊が出るからここより奥には行かない方が言いとアドバイスされたそうです。本当に危険な場所だということで砂金は欲しいけど、熊には会いたくないので今回は比較的安全な知内温泉の方へきたと言ってました。縁起を担いでの事だと思いますが、そんな彼の持っていたスコップの木製の柄には丸の中に金という文字の焼印が押されていました。

足跡の焼印
動物の足跡の焼印

写真は製作しました動物の足跡の焼印の試し押し画像です。大きさは、10ミリと小さいもので40W電気ゴテ仕様で作りました。印面が小さいので、焼印を押すときには、コンセットに差し込んで電源を入れてから50秒位で押せるまで温まります。

 

牧場の焼印

榎本様からご注文で、「TATESHINA  馬 BOKUJYO」の焼印製作を依頼されました。親戚に牧場を営んでいる人がいるのでたまに遊びに行きますが牧場の仕事も大変な仕事です。それでも今では、機械化が進んでだいぶ楽にはなってきたと言っていました。我が家には、小さな庭がありますが、私が、あまり手入れをしないので、雑草がはえ放題で荒れ放題でした。そこで、牧場の干し草を1ロール貰ってきたことがあります。干し草ロールとは、皆さんも見たことがあると思いますが、トイレットペーパーのロールのように草をトラクターに取り付けた専用の機械で、圧縮して巻いたものです。直径が150cm位ですが、重さは300kg以上あります。牛や馬も好みの干し草があるようで、あまり食べない種類があるそうで、親戚の牧場で干し草が足りなくなり、買ってきたところ、牛がその干し草をあまり食べないとの事で譲ってもらいました。軽トラックにトラクターで干し草ロールを1個積んできて、庭に下ろして広げてみました。実際に広げるまでは、1個で足りるのかと思っていましたが、干し草を圧縮して巻いているので1個のロールを広げるとすごい量で、庭全体が、厚い干し草のベットのような状態になりました。干し草を引いた庭は、日が当たらないので、雑草もはえず、3年位は持ちました。北海道の場合、冬は雪が積もるのでひと冬過ごすと、敷いたふわふわの干し草も潰れてしまい一面倒れた草地のような状態ですが、日の光が遮られることで雑草は生えませんでした。又、干し草は自然と分解されるので体には安全ですし、分解された干し草は肥料になります。親戚には干し草を貰ったお礼に木製品に押す牛の顔の焼印を1本プレゼントしました。
自然に囲まれた牧場にいると心が穏やかになります。草の匂い(動物の臭い匂いもたまにしますが)と広い見晴らしの良い場所にいると、小さなことはどうでも良くなり、清々しい気分になれます。残念ながら親戚の牧場では馬は飼っていませんが、もし馬がいるのであれば、広い牧場の中を走りまわりたいと思いでしょう。西部劇で出てくるようなカーボーイの格好をして、腰にガンベルトを巻き、45口径のコルトシングルアクションアーミーをぶら下げて、ウインチェスターのライフル片手に馬で疾走している姿を想像しながら物思いにふけるひと時でした。

蓼科牧場焼印
蓼科牧場の馬の焼印

上の写真は製作しました蓼科牧場の馬の焼印の試し押し画像です。大きさは幅33ミリ×高さ30ミリで100W電気ゴテ仕様で作りました。この焼印の製作データはイラストレーターファイルをテキスト化したデータでもらいました。初めてのデータだったので少し戸惑いましたが、上手く製作できました。

楽屋の焼印

飯田様からのご依頼で楽屋という文字の焼印製作を依頼されました。楽屋というと私には色々な思い出がたくさんあります。大学時代に劇団ひまわりに所属していて初めて舞台に出ました。その時は何が何だかわからない状態で今考えると恥ずかしいの一言につきます。劇団ひまわりに所属していた時には、金八先生やただ今放課後、飛んだカップル等で、テレビにも出してもらいました。その後、劇団丹波道場に所属して2度目の舞台を中野サンプラザで体験、この時は、案外冷静で、舞台に出るまではドキドキでしたがイザ、舞台に上がると案外楽しく演じることが出来ました。その後、友人の劇団にチョイ役で出たりと結構な回数、舞台に立たせてもらいました。又、この頃、色々なオーディションも受けましたが、どれもダメでした。そんな私ですが演劇に興味を持ったのは、高校時代に杉村春子さんの本を読んでからです。大学進学は是非、東京でと思っていました。居合やバレエ、発声等、色々と初めての体験して楽しい時間を過ごしました。今でも当時の仲間で芝居をしている人や、役者から転身して芸能プロダクションを開業した人もいます。そんな私ですが、時たま、舞台に立ちたい衝動に駆られる事があります。大学を卒業して北海道に戻ってきてからは、舞台に立つチャンスはないと思っていましたが、ある日、友人に誘われて999人の第九に参加したのをきっかけに合唱で舞台に立つ面白さもわかり、札幌の合唱団に入りました。合唱団での公演で舞台に立つのは、芝居で舞台に立つのとは違い、さほど緊張もせずに楽しいひと時で、公演終了後の満足感も楽しめます。よく、一度舞台に立ったら、舞台が恋しくなると聞いていましたが本当だと実感しました。芝居で舞台に出ることはなくなり代わりに合唱で舞台に出たことも舞台に立ちたいという思いがあったからだったと思います。舞台は魔物です。流石に結婚と同時期に合唱もやめましたが、今でも時々、舞台に立ちたいと思うことがあります。結婚してからも、地元の劇団の練習風景を見学に行ったりもしましたが、緊張感というか雰囲気が少し違い参加はせずに時たま舞台作りの手伝いをする程度で、合唱の方も、仕事があるので合唱団に参加することまではできないので、地元での音楽祭や合唱団の公演で歌う人を求めているときに何度か参加させてもらっている程度になりました。それでも小樽合唱連盟様、札幌コダーイ合唱団様等に参加させて頂いて、時々、第九やメサイヤ等を歌わせてもらっています。

飯田様の焼印
飯田様からの依頼の楽屋の焼印

上の写真は飯田様からの依頼で製作しました楽屋の焼印です。縦書きのポップな書体を使い、大きさは、高さ22ミリ×幅13ミリで40W電気ゴテ仕様で作った小さな焼印です。

千代田猫祭りの焼印

東京の和菓子屋さんからのご注文で千代田猫祭りに関する焼印製作の依頼を受けました。千代田猫祭りは毎年開催されており今年は、2月17日(土)と18日(日)の両日、千代田区役所にて行われます。テーマは、猫祭りがもたらす人と猫の幸せで会場では、猫に関する、観る、楽しむ、体験する、味わうを体験することができます。千代田区は行政とボランティアが共同で、飼い主がいない猫の問題に取り組み、猫の殺処分ゼロを実現している全国で初めての自治体です。その千代田区が一般社団法人ちよだニャンとなる会と共同で開催するチャリティーイベントが千代田猫祭りです。又、このイベントでの収益金は、飼い主のいない猫の医療費等に活用されています。2月17日には、1階無料イベントスペースで11時5分よりむぎ(猫)オープニングライブが行われ猫の着ぐるみ姿での歌や踊り、木琴演奏を楽しむことができます。その後同じイベントスペースで獣医師による猫と仲良くなる為の公演や公認会計士によるペットを守るための遺言の公演、ジュディオングさんと千代田区長の対談、チャリティーミニライブが行われます。又、同日、1階アートスペースでは、佐藤法雪先生達による有料のリアル猫ヘットをつけての撮影会、同じく1階のワークショップでは、猫のストラップや猫人形を作る体験があり、4階では猫落語や子供向けのお話会やぬりえ等もありますので、お子さん連れでも楽しい時間を過ごすことができます。翌18日には、西澤早苗さんのボサノバオープニングコンサートを初めにグッチさんの工作と遊びのワークショップや猫に関するトーク会、子供たちの獣医体験会、バイオリンとオペラの猫コンサート、1階アートスペースでは前日と同じリアル猫ヘットをつけての撮影会、ワークスペースでは、オリジナル肉球ペイントや猫の写真の取り方、猫マグネットの製作と色付け等のイベントが行われます。又、4階譲渡会会場では、千代田区内で保護された猫と飼い主家族を結びつける猫の譲渡会が行われます。街中であまり姿を見かけることがなくなったのら猫ですが、都会の片隅に隠れるように住んでおり、猫を飼いたい人と飼い主のいない猫を結びつけて、猫と人間の良い関係作りができれば良いと考えております。又、イベントボランティアも募集していますので、猫好きで、猫と人間の良い環境作りにお役にたちたいと思っている方は、積極的に参加してみては如何でしょうか?

猫デザインの焼印
猫と健康長寿の焼印

写真は製作しました猫と健康長寿の文字が入った焼印です。仕様は直火式で、お菓子に使用する為に先端を90度曲げたタイプで作りました。大きさは、写真からもわかる通りに高さが60ミリあります。

 

bmp画像からの焼印製作

利川様からのご注文で、bmp画像からの文字焼印を製作しました。普段は、パス化されたデータを切削機に送り原型を作りますが、bmpファイルの場合2種類の方法があり、一つ目の方法は、bmpファイルをそのまま切削データにする場合で、この場合、切削精度が落ちるので細かなデザインのものには向きません。もうひとつの方法は、bmpファイルからパスデータを作って切削する方法でこの方法の方が精度を上げることが出来ますので、今回はbmpファイルからイラストレーターソフトを使いパスデータにして切削して作ります。
製作する焼印は文字のみで「strawberry house」、ストロベリーハウスという文字です。ストロベリーというと苺を思いだしますが、ストロベリーの意味は、バラ科の植物になる実の総称でキイチゴ等も入るので苺だけではないそうです。
学生の頃、友人の実家が埼玉県の久喜市でビニールハウスで苺を作っており、3月に苺の収穫が終わったあとに、友人を集めてビール片手に苺狩りをした楽しい記憶があります。商品として集荷できなかった苺ですが、味は抜群で、ワイワイ騒ぎながら楽しいひと時を過ごしました。私の家でも奥さんが家庭菜園で苺を育てていますが、大きくなってそのまま食べることができる苺は少なく、ほとんどは、小さくて、少し酸っぱい苺なので、苺ジャムして食べています。市販の苺ジャムはどれも甘すぎて食べたくないのですが、自家製の苺ジャムは、ちょうど良い甘さと酸味があり美味しく頂いています。この間のテレビで、あまおうという苺を紹介している番組があり、大粒で甘さが際立っている苺で、1個づつ個別包装されていて、1個、1000円という高価な苺でした。私は食べたことはありませんが、一度は食べてみたいと思います。我が家では、奥さんがケーキを作るのが好きですので、結構苺は買いますが、毎年、年末になると苺の値段が跳ね上がることに驚いています。市場経済では、需給バランスで価格がきまるので、クリスマス時期になると高騰するのは仕方ない事なのでしょうが、少し異状だと思います。奥さんがケーキ作りが好きなので、焼印で使う電気ゴテを使いカルメライザーという、砂糖にあてる電気ゴテを作った事があります。美味しいケーキは大好物ですが、この頃、お腹周りが気になるので少し控えた方がと思っています。

左の写真は、利川様より頂戴いたしましたbmpの版下画像です。ページにアップする為にサイズの小さいgifで掲載しました。書体がわからないとの事でしたので、フォントからパスデータを作ることができませんでしたので、画像をなぞりトレースしてデータを作りました。右の写真は、出来上がった焼印をシナベニアに試し押しした画像です。大きさは、幅35ミリ×高さ18ミリで、80W電気ゴテ仕様で作りました。ストロベリーハウスは直訳すると苺の家ですが、今回はお店の名前だそうです。

はっぴの焼印

森の町様からのご依頼ではっぴのデザインの焼印を製作しました。はっぴの下の部分に森の町内会と文字が入ったデザインではっぴの背中の部分には、森という漢字を表す木が3本たっていて、その下に人が3人いるデザインをはっぴらしく丸い輪で囲んでいます。はっぴ(法被)は今ではあまり見ることがなく、よく消防の出初式の映像ではっぴを着ている姿を見るくらいです。消防では、はっぴは、今でも消防団の制服で、町火消しの頃から続く伝統でそうなっているとのことです。そういえば、デパートの売り込みセールの時にも赤と白のはっぴを着た販売員の姿を見ますし、野球の応援のテレビ中継でも見ますね。はっぴ自体をあまり見なくなったのではなく、目にしても認識していないのでしょうか?昔は、よくお祭りでもはっぴ姿でお神輿を担ぐ若者の姿を見ましたが、最近の町内のお祭りでは神輿を担ぐ担ぎ手が集まらずに、トラックに神輿を載せているので自然と忘れてしまったのかもしれませんね。お祭りといえば昔は、小さな子供達が背中に祭と書かれた紅白のはっぴを着て、鼻にお粉を塗った姿を見ましたが、今は全然見かけなくなったのも寂しいですね。少子化のせいなのか?それとも生活様式が変わり、お祭り自体に参加する人が減っているせいかはわかりませんが、原風景の一つになっているお祭りの風景も変わってしまうのは残念です。
お祭りといえば、近年、地元のお祭りから出店の数が減ってきています。数年前に青少年を非行から守ると称して、テキ屋の排除を始めた事が原因になっていると思います。確かに昔のお祭りでは、見るからにヤクザのような出店もありましたが、今ではそんな出店は見かけることもなくなりました。その影響か、昔ほどの賑やかさもなくなり、つまらなくなったのも事実です。よく、「水清ければ魚棲まず」といいますが、少し強面の店があったほうがお祭りとしては、盛り上がるのではないでしょうか。今の日本は、何か問題が起こらないようにと事前に対処のしすぎで、いわば過保護状態にあると思います。色々な人が混在するから発展がある事も事実ですので、もう少し寛容な必要もあると思います。
同じような事が原因だと思うのですが、近年、アレルギーの子供が増えているのも、生活環境がよくなりすぎて、清潔になりすぎて、菌との触れ合う場面が減ったのが原因ではないかと私は考えています。文明が発展して、生活が便利になり、色々な脅威から事前に守られるようになればなるほど、自然に生きる動物として元々もっていた自然治癒力のような力を失っていくと思います。これは仕方ないことなのでしょうか?それとも、この事も進化に一端なのかもしれませんね。

森の町の焼印
はっぴのデザインの焼印

写真ははっぴをデザインした森の町様の焼印の試し押し画像です。大きさは幅25ミリ×高さ29ミリで80W電気ゴテ仕様で作りました。印面自体は結構小さいので押すときにあまり焼印の温度を上げすぎると綺麗に押せなくなる可能性があります。

パスタショップの焼印

大久保様からパスタショップの焼印製作を依頼されました。普通は、製作するための原型を作るのに、デザインをパスデータにして切削機に読み込んで使いますが、今回は、大久保様から渡されたデータをそのまま使って作って欲しいと言われましたので、画像ファイル(bmp)をそのまま切削データとして使いました。
最初にもらったデータは少し斜めに角度が付いていたのでそのままで製作しましたので、普通に台座部分を水平にして押した場合、文字列が斜めになって押される仕様になっています。

左は、製作用に頂戴しました画像です。最初のPの位置と終わりのPの位置が斜めになっており、お客様は、台座部分を普通に水平にして焼印を押した時に、画像のように斜めに押されるようにしたいとの話でしたので、普通であれば、原画を反時計方向に斜め分回転させて水平にしてデザインするのですが、今回は、後ろのpの文字の1ミリしたに、長方形の台座が来るようにして、斜めのまま作りました。右の写真は試し押しした時の画像です。原画より少し角度が浅いのは、写真を撮った時の角度でそのままフォトショップで切り取ったせいです。大きさは、幅40ミリ×高さ13ミリで80W電気ゴテ仕様での製作です。
パスタショップと言われても昭和人間にはあまりピンときませんが、要するにスパゲティー店の事ですよね。今では近所でもイタリアン系の店があり色々なパスタのメニューがありますが、私の小さな頃は、デパートの食堂位しかスパゲティーもおいていませんでした。よくナポリタンを食べた記憶があります。尤もナポリタンというメニューは、イタリアにはなく、日本製だそうですが?

かっぱの焼印

クオリティ様からの依頼でかっぱの焼印を製作しました。かっぱは想像上の生き物で、頭のてっぺんに皿状の部分があり、この部分が濡れていないと生きれないそうです。昔話にかっぱと相撲をとる場面が出てきて、かっぱは怪力なので、人は全然勝つことができないのですが、隙をついて頭の皿の部分の水をはらったらかっぱの力が抜けてかっぱを投げ飛ばすことができたという話が出てきます。
かっぱは、河童という文字が表すように、児童のように身長は低く、30cmから150cm位と諸説があり、体は緑色をしていて、手の平には水かきがあるのが一般的なようです。水辺に生息していて、近くを通る人間を水中に引きずり込むという話もありますが、この話は、子供たちが川や沼で遊んでいて、水の事故に遭わないように作られた話のようです。又、かっぱの大好物はきゅうりということできゅうりの入った巻き寿司がかっぱ巻きと呼ばれるようになり、かっぱのグッズや名前を社名に使っている会社もありますので、日本人には、馴染みの深いキャラクターになっています。よく、テレビ番組で各地のお寺にかっぱのミイラが安置されている様子が放映されていますが、テレビ局で調査しても、真相はわからないのが現状のようですが、わからない方がロマンがあって良いと思うのは私だけでしょうか?

クオリティー様焼印
かっぱの顔の焼印

かっぱのキャラクターの顔部分の焼印です。目が大きく可愛らしくデザインされています。大きさは、幅45ミリ×高さ50ミリで直火式焼印にて作りました。

 

年輪の焼印

守田様からのご注文で年輪がある木の切り株の焼印製作を依頼されました。切り株の周りにmountain tableと文字を丸く配置し、年輪の部分に山場という文字を入れてありますので、木製のテーブルの事だと思います。私の友人の陶芸家で木に詳しい人がいます。前に彼の付き合いで余市の農協へ行ったことがありました。陶芸家の彼は、原野の土地が欲しいので、安くて広い土地を探しており、実際に原野を安く購入した人からの情報で、農協で、農業機械の購入時に土地を担保にしていることが多く、遊休地を持て余している事があると聞いたので、余市の農協に問い合わせした所、いくつかの土地があることがわかり、私に農協について行って欲しいとの事で、農協へ伺いました。彼は赤井川に土地が欲しいと思っていたので、赤井川の2件の物件について彼と一緒に現地へ行って見てきました。その一つは、土地も広く、綺麗な沢が流れていて金額的にもいいところでしたが、冬になると雪で道が閉鎖されてしまうのでNGでしたが、もう一方は、近くに除雪が行われる道路があり、小さな谷川と綺麗な水も確保できる場所でしたが、除雪される道路とその土地の間に川が流れており、自分で橋をかけないと利用できないものでした。結局は、橋を自分でかけてその土地を買うことになりました。その土地は一部分は平らでしたが、ほとんどが原野で木々が生えており
活用は大変だと私は考えていましたが、彼の考えは違い、生えている木々を見て回り、木の価値の方が、土地代よりもはるかに高いと判断したそうです。勿論、木を切り出して売るには、道路をつけたりしないとなりませんが、彼は、自分でなんでも行う人で暇なときに少しずつ切り開いて行くことが楽しいと言っていました。勿論、必要な橋も自分でかけたのは言うまでもありません。今年もその場所に行ってきましたが、少しずつですが作業は進んでいるようでした。いずれはその土地に工房を移転して、羊を飼いたいと言っていました。

守田様の焼印
木の切り株の焼印

写真は守田様からの依頼で製作しました木の切り株の焼印です。木とわかるように年輪を入れています。大型の焼印で高さ84ミリ×幅83ミリで300W電気ゴテ仕様での製作となりました。メタルアートで焼印用に使っている電気ゴテでは、これが限界サイズですので、これ以上大きな焼印は、電気ゴテ仕様ではなく、直火式でしか作る事ができなくなります。

篆書体の焼印

妻倉様からのご依頼で瑞雲という文字の焼印を製作しました。焼印の製作で好まれる書体の一つに篆書体があり、今回も篆書体での製作になりました。瑞雲というと色々な意味があり、一般的に使われる意味では、何かおめでたい事のおこる前兆として空に現れる雲の事いいますが、ロールケーキの先駆けとも言われるスポンジとパイ生地を重ねて作った、京都の桂月堂さんが販売しているお菓子も有名です。 又、旧大日本軍帝国海軍の飛行機で、瑞雲という機種がありました。翼の下に2つのフロートをもった水上偵察機で、連合軍のコードネームでは、ポール(PAUL)と呼ばれていました。太平洋戦争の後期に航空戦力不足に悩まされていた海軍が、大型の空母からではなく、比較的小さな巡洋艦クラスにも搭載可能な航空機として開発し、偵察機としてだけではなく爆撃機としても使えるように設計されていたそうです。1942年3月に試作の1号機が完成し、1943年8月に正式採用されるまで合計220機が生産されて、その性能は、最大速度が時速463km、最大航続距離が2500km、急降下爆撃機としての能力も備えており、60kg爆弾2発か、250kg爆弾1発を搭載できたが、水上機として開発されたことが逆に弱点となり、ダイブブレーキを使うとフロートが損傷する事があり、あまり運用されなかったそうです。

妻倉様焼印
妻倉様の瑞雲の焼印

上の写真は、妻倉様からのご依頼で製作しました瑞雲の焼印の試し押し画像です。大きさは高さ33ミリ×幅13ミリで80W電気ゴテ仕様にて製作しました。