楽屋の焼印

飯田様からのご依頼で楽屋という文字の焼印製作を依頼されました。楽屋というと私には色々な思い出がたくさんあります。大学時代に劇団ひまわりに所属していて初めて舞台に出ました。その時は何が何だかわからない状態で今考えると恥ずかしいの一言につきます。劇団ひまわりに所属していた時には、金八先生やただ今放課後、飛んだカップル等で、テレビにも出してもらいました。その後、劇団丹波道場に所属して2度目の舞台を中野サンプラザで体験、この時は、案外冷静で、舞台に出るまではドキドキでしたがイザ、舞台に上がると案外楽しく演じることが出来ました。その後、友人の劇団にチョイ役で出たりと結構な回数、舞台に立たせてもらいました。又、この頃、色々なオーディションも受けましたが、どれもダメでした。そんな私ですが演劇に興味を持ったのは、高校時代に杉村春子さんの本を読んでからです。大学進学は是非、東京でと思っていました。居合やバレエ、発声等、色々と初めての体験して楽しい時間を過ごしました。今でも当時の仲間で芝居をしている人や、役者から転身して芸能プロダクションを開業した人もいます。そんな私ですが、時たま、舞台に立ちたい衝動に駆られる事があります。大学を卒業して北海道に戻ってきてからは、舞台に立つチャンスはないと思っていましたが、ある日、友人に誘われて999人の第九に参加したのをきっかけに合唱で舞台に立つ面白さもわかり、札幌の合唱団に入りました。合唱団での公演で舞台に立つのは、芝居で舞台に立つのとは違い、さほど緊張もせずに楽しいひと時で、公演終了後の満足感も楽しめます。よく、一度舞台に立ったら、舞台が恋しくなると聞いていましたが本当だと実感しました。芝居で舞台に出ることはなくなり代わりに合唱で舞台に出たことも舞台に立ちたいという思いがあったからだったと思います。舞台は魔物です。流石に結婚と同時期に合唱もやめましたが、今でも時々、舞台に立ちたいと思うことがあります。結婚してからも、地元の劇団の練習風景を見学に行ったりもしましたが、緊張感というか雰囲気が少し違い参加はせずに時たま舞台作りの手伝いをする程度で、合唱の方も、仕事があるので合唱団に参加することまではできないので、地元での音楽祭や合唱団の公演で歌う人を求めているときに何度か参加させてもらっている程度になりました。それでも小樽合唱連盟様、札幌コダーイ合唱団様等に参加させて頂いて、時々、第九やメサイヤ等を歌わせてもらっています。

飯田様の焼印
飯田様からの依頼の楽屋の焼印

上の写真は飯田様からの依頼で製作しました楽屋の焼印です。縦書きのポップな書体を使い、大きさは、高さ22ミリ×幅13ミリで40W電気ゴテ仕様で作った小さな焼印です。