焼豆腐に焼印

京和リードカンパニー様より、ちゃんこ屋さんの焼印製作を依頼されました。寒い時期になりますと鍋ものが恋しくなりますね。我が家は、寒くなるとおでんの回数が増えます。おでんと言いますと地域によっては、味噌ダレをつけた物もありますが、我が家のおでんは、味をつけた出汁に煮込んで作る方のおでんです。大根やちくわ、牛すじ、厚揚げ、こんにゃく、焼豆腐、卵等色々と煮込んで熱々を食べるのが一番です。お店で食べるおでんの焼豆腐には、焼印が押してある場合もありますね。私の実家のおでんでは、よく自家製の魚のすり身を入れていましたので、格別の味がしました。ちゃんこ鍋は、東京でサラリーマンをしていた頃初めて食べました。当時付き合っていた娘とちゃんこのおいしい店を探して味噌ちゃんこを食べました。みなさんもご承知の通り、ちゃんこ鍋というと力士が食べる鍋ですが、力士が太っていて体が大きいのはちゃんこ鍋のせいだと思っていましたが、どうやらそれだけではなさそうです。ちゃんこ鍋は、野菜や肉、魚等の豊富な食材で作られていて、栄養豊富で、体も温まり代謝が上がるので健康的な食事だそうです。稽古の後、腹いっぱいちゃんこ鍋を食べてその後昼寝をするのが体が大きくなる原因だということです。

ちゃんこ屋焼印
ちゃんこ屋さんの焼印

上の写真は、製作しましたTAIKAIと言う、ちゃんこ屋さんの焼印です。50mm×35mmの大きさで150W電気ゴテ仕様で製作しました。焼印の大きさからして、ちゃんこの具材に使用するのではなく、販促用に使うようです。

りんごの焼印

山岸様からりんごの形をした紅玉会という会の焼印製作を依頼されました。紅玉はりんごの種類で、アメリカ原産で、酸っぱ味があり、お菓子用によく使われる種類です。又、熟した実には、ワックス分が多く布でこするとピカピカになります。全国の生産量の約60%を青森が占めるりんごです。近頃の地球温暖化と環境の変化により近い将来、りんごの主要産地が青森県から北海道になると言われており、北海道でもりんごの栽培と研究開発が盛んに行われるようになってきました。私の所では、仁木町からりんごを1箱、箱買いしています。木箱に入ったりんごで木箱の外側には、あさひと焼印が押してあります。実は、あさひとう銘柄のりんごが大好きですが、近くのスーパー等に置いていないために箱買いしています。あさひは、酸味があり、デリシャス等とは違った食感があり好きになりました。後で知ったことですが、アップル社のロゴのりんごのマークもあさひだったそうです。それと隣の余市町から「りんごのほっぺ」というりんごジュースもかっています。100%のりんごジュースで自然の美味しさが楽しめます。価格は少し高めですが?

左の写真は、製作時に頂戴したデザインです。白黒のjpg画像で頂戴しました。右の写真は実際に製作した焼印をシナベニア板に試し押しした画像です。文字部分の書体が違いますが、原画のままの書体ですと、製作する焼印のサイズでは綺麗にでなくなる恐れがありましたので、相談の上で変更しました。サイズは高さ25mmで、80W電気ゴテ仕様で作りました。

漁箱の焼印

松島様より宝島という文字の焼印製作を依頼されました。小さい頃は、海賊の物語を読んで宝が隠してある島があるのではないかと思っていた事がありました。子供の頃は気づきませんでしたが、今、考えみると宝島と言えるような所があった事に気づきました。私が小学生だった頃(今から50年位前になりますが)、地元の人にアカハゲと呼ばれる場所がありました。岬の突端にある小さな石浜で、崖の下にあり、前方が海なので、船でないと行くことができない場所でした。漁師町でしたので、友達に磯周り(小さな船で、磯にいるウニやアワビを獲っている漁師の事です。)の子供もおり、一緒に小さな手漕ぎの船で遊んでいました。アカハゲは島ではありませんが、船を使わないと行けないので、島のような場所で、ウニやアワビを獲って食べたり(今では密猟ですが、当時はあまり煩くなく、磯周りの子供と一緒ですのでOKでした。)、潜って遊んでいました。それと、アカハゲの海辺には、よく銃弾が落ちていました。(第二次世界大戦の時の弾薬を海に投棄したので流れ着くことがありました。)この銃弾(弾頭部分だけで薬莢はありませんでした。)を大事に集めていたこと思い出します。私のようにその時には気づかなくても後で、自分だけの宝島があった事に気づくのかもしれませんね。よく遊んでいた手漕ぎの船には、磯メガネという水中メガネやノンコと呼ばれるカギ爪や木製の漁箱があり、そこに丸一の焼印が押してあった事も覚えています。

宝島の焼印
松島様の宝島の焼印

写真は松島様からの依頼で製作しました宝島の焼印の試し押し画像です。島の文字が面白い書体です。大きさは、幅15mm×高さ8mmの小さな40W電気ゴテ式のものです。

 

木札の焼印

高木総合土木様より木札のデザインの木札に押す焼印の製作依頼を受けました。普通に絵馬や木札に押す焼印は沢山作って来ましたが、木札のデザインの焼印を木札に押す事は考えてもみませんでした。昔から神社の絵馬には、その年の干支の焼印を押すので、秋口になりますと、干支の焼印作りが増えてきます。ところでなぜ絵馬というかわかりますか?昔、神様は馬に乗った姿で人々の前にお出ましになるという言い伝えから、神事の時には、馬を献上する習わしがあり、一般市民や馬を献上出来ない人は馬の焼き物や木、紙で馬の形を作り納めていたものが、奈良時代頃から木に馬の絵を書いて献上するようになり、絵馬になったとこ事です。この頃、合格祈願の絵馬も多いせいか、志望校合格、合格祈願といった受験に関する焼印を絵馬に押すことも多くなってきています。

高木様焼印
木札のデザインの焼印

上の写真は高木総合土木様からの注文で製作いたしました焼印のシナベニアへの試し押し画像です。面白いデザインで、2枚に木札にそれぞれ押立町とたか木の文字が入った物を更に木札に押すという発想は面白いと思います。元々お祭りの時に使う木札はお守りの意味があったとの事ですが、昔は、お祭りが人々にとって大きな娯楽の一つであり、よその町からやってくるお客も多かった事から、地場で活躍している事をアピールするのに、自分の名前や屋号を入れて作ったようです。製作した焼印の大きさは60mm×30mmで直火式仕様で作りました。

スコップの焼印

三宅様より猫とスコップのデザインが入った焼印製作依頼を受けました。よく、スコップと言いますがショベル(シャベル)とは違うものなのでしょうか?調べたら英語読みでは、シャベルでスコップはオランダ語からきているそうです。北国では、必需品で、私の家にも何本かあります。勿論、冬の除雪の際に使うのですが、雪国では、数種類あるのが普通です。柔らかい雪が積もった場合には、先端部分がプラスチックで出来ている軽くて扱いやすいスコップで除雪しますし、積もった雪の場合には、少し硬いので、先端がアルミで出来ている少し頑丈で軽めのスコップを使います。又、昼間に溶けた雪が、気温が低くなって固まった場合には、鉄で出来たスコップを使います。鉄のスコップにも種類があり、先端が平らなものと先端が尖った剣先と呼ばれる物があります。剣先は氷を割る時に使います。スコップの柄の部分には、製造元の焼印が押されているものも多くあります。スコップではありませんが、溜まった雪を排雪する場合にママさんダンプという除雪道具も使いますが、ママさんダンプは、雪国の各家庭には、数本あるのが普通です。一度に多くの雪を運ぶ事ができるように大型のスコップ状の部分に両手で押して使えるように鉄のパイプが取り付けてあります。又、スコップでは割れない氷もありますので、ツルハシという氷や硬いものを割るための道具も各家庭にあります。雪国に暮らしていると、結構、雪の為に使う出費もあります。
雪が溜まってくると、町内会やご近所でお金を出し合って排雪業者を頼む事も年に何度かあります。自治体でも排雪をするのですが、せいぜい年に数回程度ですので、自宅の周りの雪が溜まって車が通ることができなくなりますので、排雪業者に依頼する事になります。除雪費用がかかる雪国では、税務控除の中に除雪控除を作ってもらいたい位です。

スコップ焼印
猫とスコップの焼印

写真は、製作しました猫とスコップが描かれたデザインの焼印です。幅30mmで100W電気ゴテ仕様で製作しました。このように面白いデザインで製作する事も多々あります。

木刀の焼印

雁瀬様より昭和新山と書かれた焼印の製作依頼を受けました。小学校の頃の修学旅行先が洞爺湖で、昭和新山もその時初めて行きました。小さかったので、全然興味がありませんでしたが、畑にある日突然に山が出来たとの説明だけは不思議だったので覚えています。昭和新山は、その名前の通り、昭和になって出来た新しい山です。山と言っても火山活動で出来た溶岩ドームで、昭和18年に近くの壮瞥町で有感地震が頻発し、19年12月に溶岩ドームができ初めて、翌20年9月に活動が停止しました。昭和新山は世界でも2例しかない個人所有の火山ということです。今では国の特別天然記念物に指定されています。そんな昭和新山は支笏洞爺国立公園内にあり、今でも修学旅行で頻繁に訪れている学校があり、近くの洞爺湖のお土産屋さんでは、昭和新山と焼印が押された木刀や洞爺湖という焼印を押した孫の手が売っているそうです。洞爺湖も有名な観光地で、湖の中央に中島があり、ニジマスの養殖が行なわれていて、串にさしたニジマスを炉端で焼く様子を見ることができます。2008年に行われた北海道洞爺湖サミットで世界的にも有名になり、今では海外からの観光客も大勢訪れています。

昭和新山焼印
昭和新山の焼印です。

写真は、製作しました昭和新山の焼印をシナベニアに試し押しした画像です。大きさは高さ80mm×幅20mmの大きさで300W電気ゴテ仕様で製作しました。角丸の枠に太めの筆字の書体を用いシンプルで押しやすいデザインになっています。

 

竹とんぼの焼印

木村様より大きなサイズの電気ゴテ仕様の焼印製作を依頼されました。89mm×47mmの大きな焼印で、300Wの大型電気ゴテでできるギリギリの大きさです。竹トンボがデザインされていて家具を作っているのが分かる文字が配置されていました。この前、NHKの番組で竹トンボをどれだけ飛ばせるか競う番組が放送されていました。飛距離を正確に判断できるように、竹トンボを飛ばす専用の機械を作り、竹トンボ作りの名人や、精密加工の技術者達が、飛距離を競っていました。空気力学や飛行学の観点から長い時間飛んでいられるように設計された竹トンボは、流石に長時間飛行していましたが、名人に竹トンボも負けずに飛んでいました。私も小さい頃、オヤジと一緒に竹トンボを作った記憶があります。使わなくなった竹箒の持ち手の竹の部分をノコギリで適当な長さに切って、ナタで割り、小刀で、削ってねじれが出るように羽の形を整えて、中心部分にキリで2箇所穴を開け、その穴を小刀で少しえぐって大きくし羽の部分を作ります。その後、持ち手の部分も竹を削って作りますが、羽の中央部分に開けた2つの穴に持ち手の部分は嵌るように、穴の間隔に添って2つの出っ張りを作り完成させました。出来上がった竹トンボを手の平をすり合わせるようにして、持ち手に回転を与えつつ、腕全体を上に上げて飛ばしますと、羽の部分が回転しながら高く上がっていき、その様子を眺めて楽しんだ記憶があります。

木村様焼印
竹トンボのデザインの焼印

上の画像は、木村様からのご依頼で製作しました大型の焼印の画像です。FREESという文字とcreation furnitureと家具屋さんを表す文字、竹トンボの飛んでいる様子を表すデザインになっています。木製の家具等に使用する焼印の製作の場合、40から50mm前後の大きさの物が殆どで、80mmを超える物はあまりありませんのは、木の小物も作っている所が多く、両方に使うためだと思います。

 

 

再生した焼印

同じ小樽市内にありますモリカワ産業㈱様からの依頼で、古い焼印をお借りして、新たに焼印を作りました。モリカワ産業㈱様は、創業110年を超える老舗で小樽の漁業の発展を支えてきた会社です。漁網や篭、ホタテの養殖資材や浮き等の漁業資材全般を扱っている会社です。北海道の漁業基地の釧路や浦河、東京にも出張所があります。昭和の初め頃までは、小樽もニシンの豊漁で賑わい、ニシン御殿や網元の豪勢な屋敷が立ち、日本銀行の小樽支店も出来、北のウオール街と呼ばれる時代がありました。その頃は、「猫もニシンを避けて通る」と呼ばれる位の漁がありました。、その後、ニシン漁は不漁となり、変わって北洋漁業が全盛となり、北洋漁業の基地として発達して来ましたが、200海里問題等で北洋漁業も衰退して、今は、磯周り(小さな漁船で、沿岸で漁をする漁師さんの事です。)や近海の漁業だけとなり、小樽経済に対する漁業の割合も減少しています。そんな中、ニシンが徐々に採れるようになり、明るい兆しも現れています。

モリカワ産業様焼印
使い古しの焼印と新品の焼印
新旧焼印全景
新旧焼印を比べた画像

上の写真は、左側のお借りした古い焼印と右の作り直した焼印の印面を比べた写真です。古い方の文字が読み取れなく印面からトレースができなかったので、それらしいデザインを何種類かご提示してその中より選んでもらい製作致しました。下の写真は、全体を見比べたものです。古い焼印の木の柄の部分が焦げていましたので、新しい方は、古いものより少し金属の棒部分を長くして製作しました。小樽という土地柄か屋号の焼印の注文は度々あります。

 

 

 

ロゴマークの焼印

群馬県館林市のマイホームラボ様から焼印の製作依頼を受けました。マイホームラボ様のグリーン色のマークが気になって調べましたら、グリーンサイトライセンス(GSL)というマークだとわかりました。GSLは、企業が気軽に参加できる自然環境貢献活動で現在約8500社が加盟しているそうです。太陽光発電の普及や植林活動等を行っており、例えば、GSLを使い加入の会社が植林する場合には、GSLサイトから申し込むとNGOが替りに植林をしてくれるシステムで、年間5000円で実施できるそうです。又、GSLに加入している会社には、認定の盾とロゴマークの使用ができるそうです。自社のホームページ上にも認証マークの設定ができるのも人気の一因になっています。

マイホームラボ焼印
マイホームラボ様のBSL焼印

上の写真は、マイホームラボ様からご注文頂きました焼印の試し押し画像です。GSLと似ていますが、こちらはBSLで、バイオセーフティレベルの略だと思います。バイオセーフティレベルは、細菌やウイルス等の危険な病原体を扱うことのできる施設の格付けです。エボラ出血熱が流行した時に、テレビで盛んにレベル4扱いにウイルスと報道していたので、殆どの人は聞いたことがあると思いますが、このレベル4もBSLの格付けで、レベル1からレベル4まであり、レベル4は、最高レベルの隔離ができる実験室に与えられ、日本では、国立感染症研究所と理化学研究所の筑波研究所の2箇所だけだということです。人間の活動範囲が広がることにより、深い原生林で眠っていた未知のウイルスともであう事が考えられる現在には、必要な認証であり、新型インフルエンザやエボラ等に致死率の高いウイルスに対処するために、日本にももっとレベル4の研究所があってもいいと思います。

お酒の木箱に焼印

九州ギフト様から焼印2本製作依頼を受けました。お酒の木箱に押すようです。九州といえば芋焼酎と言われる位有名ですが、昔は、カメに入っていた素朴なイメージがありましたが、今は、化粧品のような洗練されたデザインの瓶の入っていたり、有名デザイナーがデザインした専用ボトルやラベルの貼られたお洒落なものも沢山あるようです。焼酎とよく聞きますが、どのようなお酒なのかはあまり知られていないようで、私の知識も強いお酒で少し癖のある安価なお酒で古くから作らていた事(16世紀からあったそうです。)程度しかありません。日本のお酒は、酒税法で分類されているので、焼酎は、蒸留酒でアルコール度36度未満の連続式しょうちゅう(分類上ひらがなで書くそうです。)と45度以下の単式蒸留しょうちゅうの2種類になるそうです。前に焼酎ブームがあり、チューハイやチューライムを居酒屋で皆でワイワイ言いながら飲んだ記憶があります。

上の左の写真は、古代黒米麹仕込みの薩摩芋焼酎の焼印で、右は赤米仕込みのものになります。どちらも高さ72mmで幅25mmの大きさで300W電気ゴテと温度コントローラをつけた仕様です。お酒の木の箱や紙の化粧箱に押す焼印は度々製作しており、高級酒類の差別化で高級感を出すために焼印を使うそうです。最近のワインブームもあり、販売用の小さな専用のワイン樽に押す焼印も結構作りました。