愛の焼印

吉川様から直江兼続の兜についている愛の漢字の焼印製作を依頼されました。今回の焼印製作用デザインもカラーの画像ファイルでしたので、イラストレーターでトレースして製作デザインを作る事から始めました。戦国武将としてはあまり知られていませんでしたが、2009年のNHK大河ドラマの「天地人」で放映されてから有名になったようです。直江兼続は、戦国時代から江戸初期に活躍した米沢藩の家老です。(当時の米沢藩の藩主は上杉景勝です。)、生まれには色々な説があり定ではありませが、1560年に樋口兼豊の長男として越後上田庄で生まれたという説が有力です。上杉謙信の死後、上杉家の後継争いで1578年に起こった「御館の乱」の時に景勝の側近として表舞台に名前を表しました。その後1581年に上杉秀広による景勝の側近2人(直江信綱、山崎秀仙)が殺害される事件が起こり、この時に景勝の命で信綱の妻であつた船の婿養子となり、直江家を継ぐことになります。1584年に景勝の側近であった狩野秀治が病で倒れたあと、内政や外交を一手に引き受けるようになり、景勝に従軍して佐渡征伐や小田原征伐にも出陣しその後、1598年に出羽米沢30万石(現在の山形県米沢市付近)の領主になりました。直江兼続というと、愛の兜が有名ですが、これには2つの理由があるそうで、一つは上杉謙信が先勝祈願をした愛宕神社にあやかり、愛の文字を拝借したという事と、兼続は軍神としても名高い愛染明王を信仰しておりそのから愛の一文字を拝借したという事です。最初は私も知らなかったので、戦国武将が兜に愛の字をいれるとはすごいと思いましたが、(愛情あふれる人かと思いました。)テレビを見て本当の意味を知りました。兼続の兜の愛の部分をよく見ると愛に下に雲が描かれていますが、この雲が表している事が兜に愛の字をつけた理由で、当時の決まり事で、雲の上に仏様の一文字を載せると、その仏様の名前を載せる事になり、軍神の愛染明王を掲げて戦いに挑んだという事で、決して愛情深い愛を表しているわけではなかったとゆうことです。

左の写真は、焼印製作用に頂戴いたしましたカラーのデザイン画です。黄色の背景に黒い細い線で縁取りして、重なった部分も表現されていますが、焼印の場合には、同じ表現ができないので、重なった部分は塗りつぶしになりました。又、焼印のサイズ的な理由から少し幅広にしての製作になりました。印面の大きさは、高さ35ミリ×幅33ミリで、電熱式をご希望でしたので、100W電気ごて仕様で作りました。