家紋や屋号の焼印

家紋や屋号に関する焼印製作

古くから、家紋や屋号を使った焼印を作る事があったようです。今では、生活の中ではあまり見かけなくなった家紋や屋号ですが、葬儀の時や、墓参りの時、結婚式の時には見ることがあります。よくデレビの時代劇で、この紋所が目に入らないか!というセリフが有名な水戸黄門の家紋は、有名な徳川三つ葉葵の紋ですね。古い商家の跡が残っている小樽では、昔の石蔵の屋根の近くに、屋号が彫られているのをよく見ます。屋号は家紋よりも見る機会が少なく、殆どの人は見ることもないと思います。

家紋の焼印

家紋の種類は10000以上あるとも言われています。家紋の始まりは、はっきりとはわかっていないらしく、中心都市に住んでいた氏族が、地方に移り住む事により、他の同じ氏族の人たちと区別する為に使われるようになったそうです。
その後、家系、血統や家柄、地位などをあらわすために、武家や公家が使うようになり広まっていきました。同じ氏族の中で多く使われたいた家紋を代表紋(表紋)といい、又、当時は、同じ名字でも複数の家紋を使うのが一般的だったので、公式の場で使うための家紋として決めた家紋の事を、定紋(本紋)と言いました。逆に本来の家を示す公式の家紋以外の家紋といいます。江戸時代に入り、一部の華麗で優雅な家紋を使う人々が増えたことから、個人が独占的に使うことができなくなった家紋がでてきました。このように一般化しすぎた家紋を通紋といい、衣装等に多く使われました。士農工商と身分制度があった時代に、神社や寺が固有に用いる紋もあり、それらの家紋を、神紋、寺紋と呼びます。又、近畿地方では、女紋と呼ばれる実家の家紋とは異なり、女系から女系に受け継がれる家紋もあります。

丸い家紋の焼印

上の写真は、外形が丸い丸紋と呼ばれている家紋です。一番、左は、丸に梅鉢と呼ばれる家紋の焼印です。菅原道真公が梅が好きだった事から菅原道真を祀った太宰府天満宮の家紋が梅鉢紋です。加賀前田家でも使われていた家紋です。
左から2番目は、丸に割り菱という家紋の焼印で、有名所では、吉田松陰の松下村塾で学び奇兵隊ほ率いて大活躍した高杉晋作の家紋です。右から2番目の家紋は、印鑑屋さんからデータを頂いての注文で、家紋の名を聞かなかったので、自分で調べてもわかりませんでした。一番右の家紋は、調べました所、丸に三つ桃の系統であることはわかりましたが、詳しい名称はわかりませんでした。

その他の丸型家紋の焼印

上の写真は、丸く枠があるのではなく、外形が丸い感じの焼印です。左は14弁の菊の紋の焼印で、1871年6月17日の太政官布告第285号で皇族以外の菊の紋の使用が禁止され、286号で皇族家紋の雛形として14一重裏菊の家紋が定められました。左から2番目は下がり藤という家紋の焼印です。下がり藤の家紋は藤原氏の家紋で非常に人気があるために、日本に数多くこの家紋を使っている家があるそうです。右から2番目は、枝割り三つ橘と言う家紋です。一番右の家紋は、抱き柏と呼ばれる家紋です。

色々な家紋の焼印

家紋も種類は多く、いくら名前を調べても完全には、わからない家紋もあります。できる限り名前を調べて、わからない家紋につきましては、作りや形から推測して名前を推定してみました。多少、名前の違う部分があるかもしれませんがお気ずきの方は、ご一報頂ければ幸いです。

上の画像左は、久我竜胆という家紋の焼印で、久我竜胆はリンドウの葉と花を模したもので、曹洞宗の家紋になっています。左から2番目は、五七の桐と久我竜胆の2つの家紋の焼印画像です。五七の桐も曹洞宗の家紋になっており、左と左から2番目の2つの焼印は共に曹洞宗の関係のお寺からの注文です。
右から2番目と一番右の写真はどちらも五瓜に唐花という家紋の入った焼印です。デザイン的に多少の違いがありますが、同じ家紋です。木瓜紋といわれる日本5大家紋の一つで、子孫繁栄の思いが込められた鳥の巣をデザインしたもので、読み方は「ごかにからはなもん」と読みます。

上の写真左は、井桁に三つ柏の家紋が入った焼印の試し押しの画像です。この家紋の名前も探すのに苦労しました。最初は四角い枠部分をを探して井桁と言うことを知りましたので、次に内側の3枚に葉がある部分を探し、三つ柏ということがわかりましたので、ネットで井桁、三つ柏と検索してようやく、井桁に三つ柏という名前にたどり着きました。残りの3種類の家紋の写真も同じようにして名前を探しました。只、完全でない部分はご了承ください。左から2番目は、六角形の3重枠部分を三子持亀甲と呼ぶそうで、その中に瓜花があるので繋げて三子持亀甲瓜花という名前だそうです。名前自体は、長い漢字が並び難しそうですが読み方は、規則性がありわかりやすと思いました。只、実際に焼印を作る場合には細い白の亀甲枠を作るのは、思った以上に難しく、瓜花も余白部分の面積が小さいので、写真の通り周りが放射熱で変色していてハッキリとしないのが残念です。右から2番目は、二重亀甲に鷹の羽という家紋の焼印を木板に押した画像ですが羽の細い線が上手く出ませんでしたので、鏨を使い線を少し太く、深くしながら調整しつつ試し押しをして漸く、綺麗に押せるようになりました。家紋の焼印の場合、試し押ししながら修正する場合が多いので製作に気を使います。
一番右側の焼印、実は名前を探すことができませんでした。白抜きの十字が調べても不明だったので、黒い塗りつぶしの十字がそのまま十字と呼ばれていましたので、十字に梅鉢と呼ばせてもらいました。もし、何方が正式な名前を知っている方がいらしたら教えて頂ければ助かります。

一番左は、左三つ巴紋という家紋の焼印で寺社で見かける事が多いデザインですね。印面が小さかったので白い細い部分が熱で変色して繋がったように見えますが、デザイン上は繋がっていません。左から2番目は、丸に右三つ巴紋の家紋の焼印で、左隣のものとは、回転方向が逆で丸い枠に囲まれています。この焼印も20ミリ程の小さなものでしたので、余白部分を広げて、綺麗に押せるように調整して作りました。右から2番目は、丸に米の家紋の焼印ですが、一般の方には、お味噌を販売している会社のロゴマークのように感じる事と思います。一番右の家紋の焼印は名称を調べましたがわかりませんでした。卍のマークがあり、寺社関係であることはわかりますし、結構見かけるような、デザインでしたが、名前を探せませんでした。

家紋のデザインについて

家紋を構成するデザインは、単独で表すものと丸い輪やその他楕円形の輪、四角や六角のように角に囲まれているもの、文字を入れているもの等多彩で、正式な名前のないものもあります。紋の形を変形させて新たな家紋のデザインになったり、白黒を反転させたり、普通に知られている家紋を分断させて新たなデザインを作ったりと、家紋のデザインとしてのきまりがないことにより、自由度は上がりますが、デザインの種類が多くなりすぎて把握できないのも事実です。

屋号の焼印

家紋と同じような感じのものに屋号があります。屋号は江戸時代の身分制度で苗字を付けることのできなかった身分の商人たちが、人口が増えるのにつれて、名前だけでは、自分を表すことが難しくなったことにより使われた、商売上での家紋のようなものと捉えることができます。又、現在も法人のように会社の名前を表す事がしにくい、個人事業主の場合、個人事業を始めるさいの名前として屋号を用いる事があります。事実、個人の確定申告書には、屋号をかく欄が現在でもあります。この場合に屋号はお店を経営している方であればお店の名前をつけたり、個人の医院であれば病院名、事務所であれば事務所名といったように自由に選ぶ事ができます。もちろん、屋号をつけなくても大丈夫です。個人事業主の屋号につきましては、江戸時代の苗字の変わり的な意味ではなく、個人事業主の方が、家計でつかった経費と事業でつかった経費を判別できるように、事業でつかった経費の場合、領収書に屋号を明記してもらうことが根底にあります。その為に、一般的に認知度の高い名称や有名な言葉、登録商標されている名前等を屋号にすることができない暗黙の了解があるようです。北海道のような、開拓で開けてきた地区では、道外の別の地区から集団で移って来た人が多く、名前だけでは、個人の判別できにくいので、屋号が増えたようです。

上の写真は屋号の焼印の写真です。一番左は、「」のような部分をカネと呼び、幸という文字をコウと読んで、カネコウという屋号になります。左から2番目の焼印は、尖った部分をヤマと呼び、その下の文字の楠をクスと読んでヤマクスという屋号読みをします。右から2番目は同じようにカネカと屋号読みをし、一番右も普通はヤマミツと屋号読みをしますが、ヤマの部分を富士山に見立ててフジミツと読ませています。このように、屋号の読みには、規則性がありますが、自由度も高く、商品や商売名を自分で表し易くして表現する事もあります。

上の写真、一番左は、佐藤という名前の上にカネトという屋号をいれた焼印です。佐藤のように使ってる人の多い苗字の場合には、商売上、個人を判別する為に屋号を使う事があります。左から2番目はマルシゲという屋号をつけた焼印です。漁師をしている場合、自分の魚箱やノンコと呼ばれるカギ爪に屋号の焼印を押すことがよくあります。魚箱が、木製から、プラスチックに変わっても、自分の屋号を押す場合が多く、漁師さんからの需要はかわりません。右から2番目は、カネヒサという屋号をつけた焼印です。一番右はマルタの屋号の焼印です。
屋号も家紋も段々使用する機会がなくなってきていますが、日本的な習慣としていつまでも残って欲しいと思います。