学校関係の焼印

学校の焼印

学校に関する焼印について述べていきたいと思います。幼稚園、小学校から養護学校まで色々な学校から焼印の製作依頼があります。文化祭や体育祭等の学校行事に使う為や、開校記念や閉校記念、バザーや校外活動と色々な場面で使って頂いております。作る焼印のデザインとしては、学校の校章のデザインが一番多いのですが、製作サイズが小さく複雑なデザインの校章の場合には、中々苦労致します。近頃、少子化の影響で閉校したり、統廃合になる学校が多く、悲しいことですが、閉校記念の焼印も多くなっています。閉校記念の場合には、取り壊される校舎の机や椅子、あるいは、校舎の木で出来た部分を切り取って、焼印を押して配る利用法が多いようです。今年は、私の通っていた小樽市立末広中学校も統廃合で、移転して新しい学校になるそうで、寂しい思いがあります。

幼稚園の焼印

最初に幼稚園から製作依頼があった焼印について見てみたいと思います。幼稚園からの場合には、積み木や木の遊具に焼印を押すことが多いようで、塗料をつかうよりもエコだと言うことで使われています。

幼稚園の写真解説

上の写真は、幼稚園の焼印画像です。左と左から2番目は、東京葛飾区東新小岩にあります上平井幼稚園の焼印で左はサマースクールで使うもので左から2番目はウインタースクールで使うものです。上平井幼稚園は、地元で70年以上の歴史を持つ幼稚園で、脳の発達の著しい幼児期に、知識を詰め込む教育ではなく、色々な場面での思考力を育てる人としての器つくりを重視して活動しております。自然の中で学ぶことや、子供同士のふれあいを大切にし、家庭と協力しながら個性を大切に伸ばす取り組みをしております。右から2番目は、東京都港区にありますみなと幼稚園の焼印です。みなと幼稚園では、人の一生を通じて一番大切なものは健康であるという健康第一主義で、基礎的な体力の充実に努め、又、健康を守る上で必要な安全教育をすすめています。又、素直な気持ちで人と接することができ、自分から色々考え行動が出来る子を育てます。一番右のデザインは、直接製作以来を受けたものではなく、お菓子屋さんからの依頼で製作したものなので、どこの幼稚園かは、わかりません。大きさが30ミリでギザギザのある外枠で、おしゃれなデザインの焼印です。

小学校の焼印

小学校の焼印製作では、行事用に使うものとは、別に、文字で閉校記念の品物に押すためのものも出てきます。焼印ではありませんが、閉校記念や100周年記念等の校章ストラップも製作しておりますので、よろしければメタルアートの総合ページかメールにてお問い合わせ頂ければ幸いです。

小学校の写真解説1

一番左の写真は、長野県上田市立城下小学校の校章の焼印で、同校は1873年(明治6年)に開講した歴史の長い学校で約140年以上も前からある学校です。その前進は、亮功学校で、その後1889年4月の市町村制施行で、村立城下尋常小学校となり、1895年には、村立城下尋常高等小学校と改名され、1921年に城下村が上田市に編入され上田市立城下尋常高等小学校、さらに1941年に上田市立国民学校となり1947年の学制改革で現在の上田市立城下小学校になりました長い歴史のある学校です。左から2番目は、北海道にあります蘭越町立昆布小学校の開校100周年記念の記念品に押すために製作した焼印です。昆布町は、ニセコエリヤにあり昆布温泉郷として昔から湯治客が多く、現在では、外国人の宿泊者も多い温泉地帯になっています。冬になると近くにあるニセコアンヌプリやひらふスキー場からスキー客が沢山きます。右の2つの焼印は、川口市立芝中央小学校の親父の会様よりご注文頂きましたサマースクールで使用するためのものです。自然の中で伸び伸びとした体験を積むことで子供達の成長に役立てようとするサマースクールでの記念品に押すのに使われました。

小学校の写真解説2

左の写真は、滋賀県甲賀市立大原小学校の校章の焼印です。1873年:明治6年に開校した歴史ある小学校で、開校当時は、文明学校と呼ばれその後1886年に尋常科大原小学校になり、町村制の施行後の昭和16年に大原国民学校と変わり、昭和22年に現在の甲賀市立大原小学校になりました。学校の教育目標は、ふるさとを愛し、共に磨き合い、たくましく生きる子供の育成。だそうです。色々な行事も盛んで、田植えや間伐体験で自然に親しみ、プール授業や文化に親しむ為に劇団ひまわりの巡回公演等も見るそうです。(私ごとですが、大学生時代に2年間劇団ひまわりに所属していました。:巡回公演にはいきませんでしたが)
左から2番目は、薩摩川内市立川内小学校の校章の焼印です。私も初めて見たときは「かわうち小学校」かと思いましたが「せんだい小学校」と読むそうです。そういえば川内原発のニュースを何度か見たことがありますが、その「せんだいげんぱつ」と同じ地域であることが、近頃、ようやくわかりました。
右から2番目と一番右の焼印は、どちらも本州最北端の村、下北郡風間浦村の小学校です。下風呂小学校は平成27年11月21日に閉校し、易国間小学校は平成27年11月14日に閉校しました。

中学校の焼印

中学校の焼印の製作以来は、小学校に比べてかなり少なくなります。理由はわかりませんが、小学校が初めて通う学校であり、それだけ思い入れが深く、中学校は、高校への進学の中間的な意味からではないかと思います。又、小学校が6年なのに対して中学校は半分の3年と短いことも理由にあるかもしれません。

中学校の写真解説

上の写真はそれぞれ中学校の焼印ですが、左端と左から2番目、3番目は、お菓子屋さん等の中間業者様からの製作以来で作りましたので詳しいことはわかりません。一番右の写真は、北海道礼文町立香深中学校の焼印です。香深中学校は、北海道の礼文島にあり、礼文島は観光と漁業の町として有名なところです。私も実家が漁業関係でしたので、わかりますが、香深(礼文島)、船泊(利尻島)で取れるホッケは、シマ物と言われ(シマホッケではありません。)、羅臼、香深、船泊は北海道の3大ブランドホッケでした。今はどこもホッケの漁獲量が減少していますが、この焼印、デザイン的には作るのが大変でした、中央の香深の文字から出る細い雄しべの線を出すために、裏側から何本もの補助の湯道をとりました。

高校の焼印

高校になると、学園祭やバザーで使うための焼印の注文も多くなります。義務教育でないことと、大人に近いので、本人達で安全に焼印を取り扱うことが出来るからではないかと思います。

高校の写真解説1

一番左の焼印は山形県立遊佐高校の焼印です。昭和2年に遊佐実業公民学校として創立され、昭和23年に今の山形県立遊佐高等学校が設立されました。この焼印は学校祭で使うために生徒さんから注文を頂いたものです。左から2番目は北海道の苫小牧西高等学校の焼印です。前身は1919年5月に創立の苫小牧町立女子実業補習学校で、1922年の5月に苫小牧町立実科高等女学校になり、1924年2月に苫小牧町立女子校、1927年4月、北海道庁に移管して、北海道立苫小牧高等女学校、1950年4月に北海道苫小牧高等学校に変わり、1953年4月に東西に分離して現在の北海道苫小牧西高等学校になりました。今回の焼印は学園祭で食品に押して使うために作られました。右から2番目の焼印は、お菓子屋さんからの依頼で製作したもので、学校名等詳しいことはわかりません。只、30ミリの大きさできたので、ウロコの様な模様を入れるのが難しく一度、作り直した記憶があります。一番右の写真は宮城県登米総合産業高等学校の焼印です。校章のデザインですが、本来のデザインは6本の羽の部分が淡い青で表されており、高の文字が濃い青でしたので、白黒2価でしか表現できない焼印では表せないので、相談の上で、6本の羽の部分をアウトラインで表すことになりました。教育目標は、育もう!、つながり、チャレンジ、創造力!の5つのキャッチフレーズで、この言葉を含めて、専門家としての技能と、人としての人間性を持ちつつ高いこころざしをもって、どんなことにもめげずに果敢に挑戦して産業界をリードする独創的な発想力を持つ人材と作る事だそうです。

高校の写真解説2

上の左の写真は青森工業高校の100周年記念で製作された焼印です。生徒さん自らデザインしました。青森工業高校には全日制の7学科(機械科、電子機械科、電気科、電子科、情報技術科、建築科、都市環境科)、定時制1学科(工業技術科)があり、「協和 創造 勤労」を校訓としており、昭和23年5月1日に創立致しました。左から2番目は同じ青森工業高校の校章の焼印です。焼印で再現するには少し複雑なデザインだったので苦労しました。右から2番目の焼印は十和田工業高校のもので、中心部に校章をいれ、周りを円形にして文字を配置しました。機械エネルギー科、電子機械科、電気科、電子科、建築科の5学科があり、昭和38年の4月1日に開校致しました。一番右の写真は、青森工業高校の同窓会の本部本部総会を行った記念に作られた焼印で、校訓と青森名物のねぶたの顔の図柄をいれたデザインになっています。

大学の焼印

大学の焼印も多くはありませんが作らせて頂いております。クラブ活動や学園祭で使う用途のものが大半です。

大学の写真解説

写真一番左はお菓子屋さんから頼まれた農大の焼印です。どこの農大かは聞きませんでしたのでわかりません。左から2番目は明治大学の校章の焼印です。和菓子に押すために製作しました。右から2番目は北海道札幌市にあります藤女子大学の校章の焼印です。焼菓子用に作ったものです。一番右の写真は筑波大学のラクビー部の焼印です。左の家紋部分が小さいので作るのに苦労致しました。

その他の学校の焼印

養護学校や寺子屋、企業の体験スクール、NPO法人が行う課外学校等で製作しました焼印を紹介いたします。

その他の学校写真の解説

左の写真は、NPO法人あそベンチャースクールの焼印です。3人の子供が楽しそうに笑っている姿のデザインです。あそベンチャースクールは札幌市西区平和に拠点があり、あそびから始まる大冒険という意味から、あそベンチャースクールの名前がつけられています。昔は普通のことだった自然の中で遊ぶ事が、現代の子供たちには、特別な体験だということで、大自然の中で仲間と共に楽しく遊びながら色々な体験をすることで、学べる学校です。遊びときは遊ぶ、やるときはやるという合言葉とともに、大人も子供も全力で遊び、その後の片付け等もきちんとするという事を身につけます。子供7人前後に指導者が1名ついて活動し、失敗や成功体験から色々と学び取ってもらう事を目指しています。興味のある方はあそベンチャースクール通信をだしておりますので、HPでご確認頂ければと思います。左から2番目は、三重県多気郡大台町にあります、NPO法人大杉谷自然学校の焼印です。国立公園や県立公園の大自然に囲まれた大杉谷地区で、失われようとしている昔から受け継がれてきた価値観や自然観を次の世代に伝え、新しい社会に適応した新たな文化を作り育てていく事を目標としています。3泊4日程度の体験キャンプや森や川で遊び大自然への親しみ、理解を深める森林環境教育プログラム、幼児と家族で自然の中で親しんでもらう森の幼稚園、地域での色々な取り組みに参加したり、大人向けのエコツアー等もあります。又、大杉谷自然学校へのふるさと納税制度もあります。詳しいことは、メールマガジンを配信していますので、そちらでご確認下さい。右から2番目は静岡福祉大学で行われているわんぱく寺子屋の焼印です。わんぱく寺子屋とは、放課後に子供達と大人が一緒になって遊びながら学ぶイベントです。一番右の写真は福井県の美浜ちくちく体験学校の焼印の画像です。

その他の学校写真の解説2

左側の写真は、ロックの学園の焼印です。ロックの学園は神奈川県三浦市の廃校になった三崎高等学校を舞台にして開催されるイベントを中心に、NHKや光テレビ、ジャパンFMネットワーク等のコンテンツを配信しています。左から2番目はさいたま市にあるNPO法人大人の学校の焼印で、大人の学校は、大人になっても出会いを求め、色々な事を学べる活動的な大人達を応援するプログラムです。
右から2番目は、兵庫県穴栗市にあります就労支援事業所のさつき作業訓練所の焼印です。さつき作業訓練所は、知的障害者で社会的自立が困難な方々に対して日常生活訓練や軽作業を実施して、生きがいを高めて自立を促し社会に復帰出来る事を目標とする作業所です。一番右の焼印は、北海道にあります南幌養護学校の焼印です。南幌養護学校は昭和60年に開校した知的障害教育をすすめる特別支援学校です。

その他の学校写真の解説3

左の写真はゆり特殊学級の焼印です。左から2番目は北海道にあります中標津高等養護学校の焼印です。ロゴマークの上の半円は、太陽を表し、下の半円は大地を表していて、三角の部分は、武佐岳を表しています。大自然の中でたくましく生きる力を身に付ける事を表現しています。右から2番目は島根県立益田養護学校の焼印です。益田養護学校は平成12年4月に開校した特別支援学校で、自分から、力をあわせて、元気いっぱい、を校訓とし、小学部から高学部まである益田地区唯一の特別支援学校です。右端の写真は島根県立出雲養護学校の焼印画像です。出雲養護学校には、小学部、中学部、高等部と4つの分教室があり、あかるい子、なかのよい子、たくましい子を校訓としています。

学校の焼印としてまとめましたが、このページを作っていくうちに、世の中には、色々な学校が沢山あり、幼児から大人まで色々と学んでいることがあらためてわかりました。