ストーブ屋の焼印

ストーブというと北海道のような寒冷地にはなくてはならない物ですが、九州や沖縄等では必要ないのでしょうね。北海道生まれの私にはストーブに対しては色々な思いがあります。今とは違い、私の小さい頃は、ストーブと言えば一般家庭では石炭ストーブでした。石炭ストーブには火をつけるのも大変で朝の寒い時に、新聞紙を丸めたものと小さく切った薪をストーブに入れて、その上に細かな石炭をさっとまき散らして、新聞紙にマッチで火をつけます。すると新聞紙から薪に火が燃え移り、最終的には細かな石炭が燃え出します。石炭は思ったより火が付きにくいので、薪が必要になります。今でしたら着火剤もあるのですぐにつける事ができると思いますが、なかなか大変です。只、一度石炭に火がつくと簡単に消えないので、その上に大きめの石炭を載せて火力を上げます。石炭ストーブの火力は強く、今の石油ストーブ以上に温まります。しかし、石炭をくべないとならない為に(くべるとは、燃やす為に石炭を入れるという意味です。)時々、ストーブを確認しないとなりません。又、石炭は、石炭屋さんから買いますが、家の場合には、ナヤバと呼ばれる魚を干す場所の下に石炭小屋があり、トラックから石炭屋さんがしょいごで背負って石炭を運んで入れていくので、その後、石炭小屋のなかで、大きな石炭はストーブに入るように砕く必要があり、私も金づちで石炭を割った記憶があります。そんな石炭割も大変でしたが、石炭ストーブを維持するのも大変でした。石炭ストーブは定期的に煙突掃除をしないとなりません。煙突が詰まると、煙突から火の粉がでる事があり、それが火事の原因にもなるという事で、煙突掃除が必要で、竹の棒を割いて細長くした物の先にブラシをつけて煙突に中に通して溜まったススを取り出すのですが、顔も体もススで真っ黒になりながら煙突掃除を手伝っていました。学校も勿論石炭ストーブでした。小学校と中学校までは、用務員のおじさんが朝、生徒が来る前に石炭ストーブに火をつけてくれるので、先生が、時々、石炭をくべてストーブを燃やし続けていました。一斗缶という18リットルの缶にとってをつけたものに石炭を入れていましたので、石炭がなくなると用務員のおじさんに連絡して持ってきてもらっていました。そんな石炭ストーブでもいい思い出も沢山あります。例えば、冬休み明けには、石炭ストーブの上に金網をひいて、その上に餅を載せて食べる事もありましたし、石炭ストーブの上には普段、蒸発皿というトタンで出来た器が載せてあり、湿度を保っているのですが、その蒸発皿の中に給食の牛乳をビンごと入れて温めて飲むことも冬には出来ました。今思えば楽しい思い出になっています。高校まで小樽にいましたが、高校もまだ石炭ストーブでした。只、同じ市内でも新しい校舎の学校は集中暖房が完備されていましたが、私のいた、北照高校はまだ石炭ストーブで、その石炭を運ぶのも生徒が当番制で運んでいました。

ストーブ屋焼印
ストーブ屋焼印の画像

上の写真は出来がったストーブ屋さんの焼印を紙に試し押しした時の画像です。上の文字の部分の下側は円形にカットして丸みをつけてありなかなかお洒落なデザインの焼印です。ウッドストーブと書かれていますので、薪ストーブを製作していると思います。前に、薪ストーブで使うデレッキという鉄のかき混ぜ棒の木製の柄の部分に押す焼印が欲しいという事で作った事がありました。ネットを見てみますとお洒落な薪ストーブが結構販売されていますが、結構、値段が高いので別荘のような建物で使うのでしょうか? 小樽市内に新保さんという薪ストーブを専門に作っている職人がいますが、こちらの薪ストーブは、鋳物ではなく、板金をプレス加工したもので、メタルアートでも一時期、売らせてもらった事があります。これから北海道は寒い時期になるので、ストーブが恋しくなります。
余談ですが、10年位前に、メタルアートで昔ながらの石炭ストーブを小さくした置物を作って販売していました。 焼印をメインにするようになってから置物やお土産品を作る事がなくなりましたが、来年あたりに復活しようと考えています。