ばんえい競馬の焼印

ばんえい十勝という円形文字の入った焼印を製作しました。ばんえい競馬は北海道では結構メジャーでテレビのCMでもよく流れますが、日本国内で、帯広市が主催する地方競馬としての1か所しかなく、別名、ばんえい十勝とも呼ばれています。又、世界的に見ても同じような種類の競馬を行っている国はなく、世界で唯一の競馬競技になります。ばんえい競馬は競走馬が重りを積んだそりを引っ張り小高い丘を登ったりして速さを競う競技です。使用される馬も一般的な競馬で登場するサラブレット系のスマートな競走馬ではなく、古くから農耕馬として使われてきた重種馬(ばんば)とよばれる体重800kgから1200kgの大きな馬で競い合います。ばんえい競馬の競走馬は2歳からデビューし、ばんばの日常の調教風景は本走馬の裏側にある練習用の走路を利用して行われており、見学を希望する場合には、事前予約をしておけば、有料で「朝調教見学ツアー」に参加できます。ばんばに出る馬は、基準タイムを満たしている能力検査をパスする必要があり、大体8割の馬が検査を合格するが、不合格馬は、全国各地で観光用馬車をひいたり、農耕馬として利用されるが、食肉用に転用される場合も多い。又、騎手の重量も男女の差別なく77kgに定められており、騎手の重量が足りない場合には、弁当箱と呼ばれる鉛の重りを入れた鉄製の箱を積んで重量を調整することになっています。面白い競技としてばんばの産地限定競争があり、ばんえい甲子園と呼ばれており、南北海道産駒特別は、石狩、後志、渡島、檜山、胆振、日高地方および北海道外の馬が参加でき、北央産駒特別は空知、上川、留萌、宗谷管内の馬、北見産駒特別は網走管内の馬、釧路産駒特別は釧路、根室管内の馬、十勝産駒特別は十勝管内の馬と出ることができる馬の地域が限定されている競技もあります。

ばんえい競馬焼印
ばんえい十勝の円形焼印

上の写真はばんえい十勝の焼印を桐の板材に試し押しした時の画像です。いつも押すシナベニアとは、違い焼けやすい材料なので、印面の温度ほ普段より低めにして押しました。それでも文字が太いので黒く変色している箇所があります。この焼印は、コースターに押す為の焼印でその為に円形に沿って文字を配置しています。大きさは、幅73ミリ×高さ30ミリで、電熱式をご希望でしたので、200W電気ごて仕様で作りました。これとは別に革のキーホルダーに押す小さな焼印も製作しました。

お好み焼き屋さんの焼印

金田様からお好み焼きに関する焼印製作を依頼されました。デザイン的には金田の「か」という平仮名と「お好み焼き」とだけ書かれたシンプルなデザインです。お好み焼きは私も好きで、時たま食べたくなります。高校生時代に良く通っていた源平というお店があります。友人の家が源平のそばだったので遊んだ帰りに寄っていました。私が学生の頃は、小樽にお好み焼き屋さんが少なかったので、お好み焼きと言えば源平と思っていました。又、源平ではおじさんが焼いてくれるので助かりました。一度、他の店で、もんじゃ焼きという溶いている小麦粉が水のようにさらさらしているお好み焼きを食べたことがありますが、その時は、もんじゃ焼きが初めてでしたので、どのように焼いたらいいか解らずに、混んでいる時間帯でしたがお店の人に頼んで焼いてもらい、食べ方も教えてもらいました。この文章を書いていて、この頃、お好み焼きを食べに行っていないので行きたくなってきました。結婚してからは、お好み焼きも自宅で食べることが多く、夫婦で外出したときにわざわざお好み焼きを食べようとはならないので外で食べたことは殆どありませんでした。思い出せば、半年くらい前に、ニセコに遊びにってお昼によく行くお蕎麦屋さんがあり、そこに行ったのですが大変混んでいて、だいぶ待たないとならないので、近くを探したらお好み焼き屋さんがあったので入った時くらいしか思い当たりません。私は、海鮮のお好み焼きが好きでイカやホタテ、エビの入ったお好み焼きを注文しますが内の奥さんは、あまり海鮮のお好み焼きを食べないので、肉や餅の入ったお好み焼きを注文します。
前に自宅でお好み焼きを焼いたときに、その場にあった焼印を押した事がありますが、具材を沢山入れるので、表面が凸凹して綺麗に押せませんでした。焼印をお好み焼きに綺麗に押したい場合には、具材を少なめにして、なるべく平らな部分を作るようにして押した方が綺麗に押せます。

金田様焼印
金田様のお好み焼きの焼印

写真は、出来上がった金田様の焼印をシナベニア板に試し押しした時のものです。四角い枠の中に平仮名の「か」が大きくデザインされその下に「お好み焼き」ち入っています。大きさは、30ミリ角なので「焼」の文字部分画数が多く綺麗に押しにくい部分になります。電熱式をご希望でしたので、100W電気ごてにしようと思いましたが、一度にたくさん押すという事で、150W電気ごて+温度コントローラの仕様にしました。

 

魚辺の焼印

鰆という魚の名前の漢字の焼印を製作しました。よく、お寿司屋さんの湯飲みに魚に関する漢字が印刷されているものがあったり、回転寿司のカウンター横にも魚の漢字が並んでいる姿を見ます。魚辺に春で鰆(さわら)と言いますが、この鰆は、出世魚とも呼ばれ、体長50cmまではサゴシと呼ばれ、その後生長するに従い60cmまでは、ナギといい60cmを超える大きさになるとサワラと呼ばれるようになります。同じような出世魚で有名なものに、ブリがあり、ブリはその成長過程から15cm位までは、ワカシと呼ばれ、40cm位まではイナダ、60cm位まではワラサと呼び、90cm以上になるとブリと呼ばれるようになります。又、サワラ(さわら)と呼ばれる所以は諸説ありますが、有力な説によるとサワラの魚体が細長くお腹の部分が狭いことから「狭い腹」が「狭腹」と書かれるようになり、狭腹をさはらと呼ぶうちにさはらがサワラになったという事です。又、石川県の一部の地区では、サワラといううとカジキの事になるそうです。サワラは、見た目には、肉質が白っぽくて白身魚だと思われがちですが、実際には肉質の成分を見ると赤身魚になるそうです。サワラは分類的にはサバ科になるそうで、漢字をみてわかるように春という文字がつきますが、これは、春に産卵するために沿岸に近づくので人目に触れることが多くなるためで、「春告げ魚」とも呼ばれています。本来、脂がのって一番おいしいのは、「寒鰆」とよばれる冬にとれるサワラです。北海道南部から九州まで全国でとれるサワラですが、一番採れるのは九州地方で、一位が博多漁港、二位が長崎漁港になります。
この他で、魚辺がつく漢字の焼印を製作したものに、鰊(にしん)や鯛、(ほっけ)等があります。

サワラの焼印
鰆の焼印の画像

上の写真は、鰆の焼印をシナベニア板に試し押しした時の画像です。大きさは幅35ミリで直火式焼印で作りました。書体が太めなので、焼印を押すときには、高めの温度で、短く印面を押しあてた方が綺麗に押しやすいと思います。

 

トンボの焼印

ながいけ様からトンボがデザインされた焼印の製作を依頼されました。私が小学生の頃、通っていた高島小学校のそばに小泉さんという製麺工場があり、そこには大きな池がありました。池の広さは周囲80メートル位あったと思います。そこには、鯉やフナが泳いでいましたが、池と沼の中間位の感じで、ゲンゴロウやタガメなんかをとった記憶があります。その池に夏から秋頃にかけてオニヤンマが沢山飛び交います。友達とオニヤンマを取りによく行きました。オニヤンマを採るには特別な方法があります。当時は子供たちの間で言い伝えられてきた方法で、その時はどうしてこの方法で採れるのかわかりませんでした。そのオニヤンマを採る方法は、オニヤンマがどの位置を飛び回るかよく観測して、飛び交う範囲を覚えておき、必ず青い色の虫取り網を、飛び交う範囲で、八の字に回しながらオニヤンマが飛び込んでくるのを待つ方法でした。不思議なことに、いくら追っかけまわっても採ることができなかったオニヤンマですが、この方法ですとオニヤンマの方から網に飛び込んできます。でもこの時に使う虫取り網が白や他の色の場合には、けっしてオニヤンマは採れませんでした。その当時は理由がわかりませんでしたが、今考えるとなんとなくわかります。あくまで推測ですが、トンボには縄張りがあり、その縄張りに別のトンボが侵入すると追い回して追い出してしまいます。そこで、オニヤンマの縄張りの中で網を振りますと縄張り内に他のトンボが侵入してきたと思い追い出す行動に出ると思います。この時、青以外の色の網ですと、トンボには、ハッキリと見えてしまい、警戒して近づかないのですが、青い網を振ると、水面や空の色に近いので、網を振っている事に気づかず、トンボが飛んでいるように見えるからだと思います。只、私の考えですので、確証はありませんが、間違いないと思います。偶然なのか、誰から教わったのかわかりませんが、子供たちの間で伝わっていたこの方法には正直驚きました。残念ながらその池も今はなく、埋め立てられて、市営の団地になってしました。改めてその当時の事を思い出すと、小さい頃遊んでいた自然に恵まれた環境は殆ど見当たらなくなっており非常に残念に思います。

トンボの焼印
ながいけ様のトンボの焼印

上の写真は、ながいけ様からのご注文で製作しましたトンボの焼印をシナベニア板に試し押しした時の画像です。竹とんぼのような感じのデザインのトンボと平仮名でながいけと書かれた文字がなぜか懐かしく思います。焼印の大きさは、幅35ミリ×高さ40ミリで、電熱式をご希望でしたので100W電気ごてを取り付けて作りました。昆虫の焼印の中でトンボは2番目に多く、人気があります。勿論、一番多いのは蝶のデザインの焼印ですが。

愛の焼印

吉川様から直江兼続の兜についている愛の漢字の焼印製作を依頼されました。今回の焼印製作用デザインもカラーの画像ファイルでしたので、イラストレーターでトレースして製作デザインを作る事から始めました。戦国武将としてはあまり知られていませんでしたが、2009年のNHK大河ドラマの「天地人」で放映されてから有名になったようです。直江兼続は、戦国時代から江戸初期に活躍した米沢藩の家老です。(当時の米沢藩の藩主は上杉景勝です。)、生まれには色々な説があり定ではありませが、1560年に樋口兼豊の長男として越後上田庄で生まれたという説が有力です。上杉謙信の死後、上杉家の後継争いで1578年に起こった「御館の乱」の時に景勝の側近として表舞台に名前を表しました。その後1581年に上杉秀広による景勝の側近2人(直江信綱、山崎秀仙)が殺害される事件が起こり、この時に景勝の命で信綱の妻であつた船の婿養子となり、直江家を継ぐことになります。1584年に景勝の側近であった狩野秀治が病で倒れたあと、内政や外交を一手に引き受けるようになり、景勝に従軍して佐渡征伐や小田原征伐にも出陣しその後、1598年に出羽米沢30万石(現在の山形県米沢市付近)の領主になりました。直江兼続というと、愛の兜が有名ですが、これには2つの理由があるそうで、一つは上杉謙信が先勝祈願をした愛宕神社にあやかり、愛の文字を拝借したという事と、兼続は軍神としても名高い愛染明王を信仰しておりそのから愛の一文字を拝借したという事です。最初は私も知らなかったので、戦国武将が兜に愛の字をいれるとはすごいと思いましたが、(愛情あふれる人かと思いました。)テレビを見て本当の意味を知りました。兼続の兜の愛の部分をよく見ると愛に下に雲が描かれていますが、この雲が表している事が兜に愛の字をつけた理由で、当時の決まり事で、雲の上に仏様の一文字を載せると、その仏様の名前を載せる事になり、軍神の愛染明王を掲げて戦いに挑んだという事で、決して愛情深い愛を表しているわけではなかったとゆうことです。

左の写真は、焼印製作用に頂戴いたしましたカラーのデザイン画です。黄色の背景に黒い細い線で縁取りして、重なった部分も表現されていますが、焼印の場合には、同じ表現ができないので、重なった部分は塗りつぶしになりました。又、焼印のサイズ的な理由から少し幅広にしての製作になりました。印面の大きさは、高さ35ミリ×幅33ミリで、電熱式をご希望でしたので、100W電気ごて仕様で作りました。

革ベルト屋さんの焼印

ウエスタンACE様というウエスタンベルトを製作販売している業者さんの焼印を作りました。ウエスタンベルトとは、シルバーのバックルや、装飾用の金具、宝石や綺麗なガラス玉等を飾り付けた美しい革のベルトです。ジーンズにお洒落に添えるアイテムとしても人気があります。ウエスタンベルトとは、バックルや飾りを変更できる装飾されたベルトという意味ですが、西部劇が好きな私には、ガンベルトの方がウエスタンベルトではないかと思います。西部劇を見ますと、腰にSAA(コルトシングルアクションアーミー)の45口径の銃を吊るし、ベルトに弾を収める弾帯が付いたベルトをしている姿を目にします。飾りっ気のない実用性を重視したガンベルトこそウエスタンベルトと呼ぶのにふさわしいのではないでしょうか?(完全な私説ですみません。)市販のウエスタンベルトを見ますと、牛革で、幅広の物が多いようです。色々な飾りつけの装飾品が付いているだけではなく、ベルト本体にカービングというお洒落なデザインが彫り込まれいるベルトや細目で控えめな女性用のウエスタンベルトもあるようです。ベルトの色は、茶系が多いようですが、赤や黄色といったカラフルな色のウエスタンベルトもあるようです。太めの牛革性の茶色のベルトに何種類かの焼印を押してデザインしたウエスタンベルトもネット上で販売されていました。

左の写真は焼印を製作する為に頂戴しましたデザインになります。このデザインの白黒を反転してデザインを作り直して製作します。右の写真は出来上がりました焼印をシナベニア板に試し押しした時のものです。焼印の印面部分の大きさは、幅40ミリ×高さ30ミリの楕円形で、電熱式をご希望でしたので150W電気ごてをつけて製作しました。

中標津の焼印

北海道の地名の中標津という焼印を製作しました。中標津は、中標津空港がありますので全国的にも知られています。中標津の名前の由来は、アイヌ語のシペッ(大きな川)という言葉を標津にあてて作られたそうです。観光地と有名な摩周湖がそばにあり、観光客の来町も多いようです。摩周湖は、北海道遺産にも登録されている透明度が非常に高い湖で、世界第2位の透明度を誇ります。私も一度摩周湖へ行った事がありますが、透明度は高いのですが、一般人は湖面に近づくことができないので、展望台から湖面を見ることになります。逆を言えば、人が簡単に近づくことができない場所にある湖なので、いつまでも水が綺麗なのでしょうね。私が友人と展望台から摩周湖を見ていた時も、霧がかかっていた湖面の霧が晴れてきて神秘的な「霧の摩周湖」を見ることができました。又、中標津の近くには、野付半島があり、その野付湾は北海シマ海老が有名で、北海シマ海老は正式名ホッカイエビといい、タラバエビ科に属しておりアマモ等の海藻が生茂る浅瀬に生息していて、生まれてから1年半ほどはオスとして成長し、その後、性転換してメスになり産卵する珍しいエビです。私も浜ゆでした北海シマ海老を食べましたが、ほんのりとした塩味にエビ本来の甘みがあり美味しく頂きました。
そんな中標津には、開湯100年を迎えた養老牛温泉があります。養老牛温泉の無色透明なお湯は、リュウマチや運動障害や傷等に効果があるそうです。養老牛とは不思議な名前ですが、アイヌ語が由来で、アイヌ語の「エ.ウォル.シ」という言葉が語源になっています。ちなみに「エ.ウォル.シ」とは、山が岩崖になって水の中にささりこむ所という意味だそうです。又、養老牛温泉は、寅さんシリーズや釣りバカ日誌等の映画のロケ地としても有名です。

中標津の焼印
中標津の建物を表した焼印

写真は中標津の焼印の試し押し画像です。中標津の3文字を建物のデザインに挿入した形で、下にローマ字でNAKASHIBETUと書かれいます。北海道の地名の焼印製作の依頼は結構多く、観光お土産品に使うようで、ひと月に5本ある時もあります。焼印の大きさは幅55ミリ×高さ23ミリで、150W電気ごて仕様で製作しました。

 

英語表記の木の焼印

岸上様からのご依頼で、Lindenbaumという英語表記の木の名前の焼印を製作しました。Lindenbaumとは日本語にすると、西洋菩提樹といわれるシナノ木科の落葉高木で、別名、セイヨウシナノキともいわれます。高さは30~40mにもなる木で6月~7月に淡黄色の花が咲き、ミツバチが好んで花に集まるので、大事な蜜源となる木です。又、木の皮の繊維は、衣類や縄、籠等に利用され、木本体は漁具や彫刻木、楽器作り等に使われます。さらに樹液は糖分をとるために使えますし、花はリンデンというハーブティーとして利用されており、鎮静作用があり、健胃、消化促進、安眠、強壮作用があります。このように利用価値の高い木です。菩提樹と聞くとお釈迦様が悟りと開いた木として有名ですが、残念ながらそれは、インド菩提樹という木で西洋菩提樹ではありませんが、シューベルトの歌曲集、冬の旅の菩提樹はこの西洋菩提樹です。花言葉は「夫婦愛」、「結婚」といわれれおりその所以は、ギリシャ神話の神々の王ゼウスに仕えたフィレモンとバウキスという老夫婦おり、この二人は死によって離ればなれになるのをおそれ、フィレモンはカシの木にバウキスはボダイジュに変わり、永久に仲よく暮らしたとされることからきています。

岸上様焼印
岸上様のリンデンバウムの焼印

写真は、岸上様からの依頼で製作しました焼印をシナベニア板に試し押しした時の画像です。外枠の輪郭の一部として英字でlindenbaumと書かれています。このデザインのように、文字数が多く、印面のサイズが小さい焼印の場合には、丸い外枠の一部として文字を配置する方法は有効です。焼印のサイズは直径18ミリ丸に収まる大きさで、電熱式をご希望でしたので80W電気ごてを取り付けて作りました。

地名の焼印

新木場という地名の縦書き焼印の製作を依頼されました。若い頃、東京でサラリーマンをしていましたので、新木場と聞いてすぐにどのへんかわかりました。地名の焼印の場合、観光地や世界遺産になったような有名な所の地名は多いのですが、マイナー?な新木場という焼印の注文が来るとは思いませんでした。木場とは、木を集めて保管していた場所で、貯木場とも呼ばれています。貯木場ですが、陸上貯木場と水中貯木場があり、陸上貯木場は、材木置き場というイメージですが、水中貯木場は、貯木池という丸太を浮かべておく池があり、川や運河、港のそばに作られることが多く、昔、山から切り出した木を川や海を使って運んだ名残のようです。テレビ番組で、水に浮かべた丸太に乗って、鳶口のような鈎をもって丸太を集めている様子を見たことがありますが、あの場所が水中貯木場だったのですね。そんな貯木場ですが、かなりの面積が必要になりますし、色々な設備も必要になりますので貯木出来る能力は、広さ1haあたり、陸上の貯木場の場合、5000㎥、水中貯木場で3000㎥が標準だという事です。昔から疑問を持っていたことがあり、水中貯木場で丸太を水につけておくと木が水分を吸って腐ってしまわないかと不思議に思っていましたが、水につけて保存しておくのには意味がある事がわかりました。木は木材として使う場合、乾燥させないと狂いが生じ使えないという事を聞いていましたので、乾かさないとならない木をなぜ水につけて保存するのか調べましたら、木に狂いが生じるのは、木の外側と内側の水分を含んでいる割合が違うので、乾燥の仕方の違いにより狂いが発生するとの事で、水中で貯木すると木の外側と内側の水分の違いがなくなり狂いにくくなるとの事でした。それと水中貯木しておいた丸太の方が、陸上で貯木していた丸太よりも早く乾燥して狂いもすくないとの事を聞いて驚きました。又、水中貯木をした木の方が、色も綺麗になり、香りも良くなるとの事で、いいとこずくめですが、水中貯木をするためには、広い場所と綺麗な水が大量に必要になるので必然的にコストも高くなり、場所の確保も難しくなってきているので近頃では、殆どしないそうです。

新木場の焼印
縦書きの新木場の焼印

写真は製作しました縦書きの新木場焼印をシナベニア板に試し押しした時のものです。大きさは、高さ60ミリ×幅22ミリの角丸枠付きで、電熱式をご希望でしたので、200W電気ごて仕様で作りました。

丸太の焼印

丸太のデザインの中に「かんばつ材」という文字の入った焼印製作を依頼されました。焼印を作る為のデザインは手書きでもらいましたので、一度、デザインを作り直してからお客様にご確認頂いての製作になります。間伐材(かんばつ材)とは、林業でよい木を育てるために、日当たりがよくなり、木の成長が促進されるように木をまぶく作業で出た成長途中の木材です。昔は、そのまま廃棄していましたが、エコが叫ばれるようになり、見直され木材市場にも出てくるようになりました。又、地球温暖化を軽減するために、木の光合成を高め、二酸化炭素を少しでも多く吸収してもらうように、間伐の作業自体も注目されるようになり間伐材の市場開拓に弾みがついたようです。間伐材で小径木(14cm以下)の物は、杭や土木工事用の材料に使われることが多く、中径木(16~22cm)は建築用途として使われることが少なかったが、集成材や内装用として新しい使い方が出てきてきています。間伐材と聞くと細い木しかないような印象を受けますが、より付加価値の高い木材を作る事を目指していたり、人手不足のために木の生えている近くまでトラックを入れるために、大きな木でも間伐材として切る事があり、太い径の間伐材も市場に出回っています。それと近ごろのエコブームから、間伐材を木質ペレットに加工して、ストーブやバイオマス発電等に利用する動きも出ています。又、消費者に間伐材を利用してもらえるように間伐材マークを導入したり
する動きも見られます。

間伐材マーク
緑色の間伐材マーク

上の写真は、間伐材マークです。間伐材を使った商品である事を消費者にアピールして、販促に生かす目的で作られました。又、地域によっては独自の間伐材表示マークを作っているところもあります。

北海道の間伐材マーク
道産木の間伐材マーク

上の写真は、北海道産の間伐材につける間伐材マークです。木材の産地では差別化をはかるために、オリジナルの間伐材マークを使うところもあります。

左の写真は、焼印製作用に頂戴しました手書きのデザインです。文字部分は、何種類かのフォントをご提示して、その中から選んでもらった書体で作りました。丸太の部分は、最初は、原画をそのままデザイン化したのですが、綺麗に整った丸や直線を使った方が面白いという事で、右のようなデザインになりました。ちなみに右の写真は出来上がった焼印をシナベニア板に試し押しした時の画像です。製作しました焼印の大きさは、幅30ミリ×高さ8ミリで、100W電気ごて仕様で作りました。