神社の焼印

神社では、お神輿や木札等で昔から焼印が使われており、製作の依頼も多くあります。直火式で焼印を作ることが多いのですが、近年は、電気ゴテ仕様の焼印も増えています。デザイン的に家紋や筆で描いた文字を使うことがあり、作る焼印も大きなサイズの物の方が多い傾向にあります。

小樽市の高島稲荷神社の焼印

私の生まれ育った北海道小樽市高島町にある神社で、小さい頃は、神社の境内になっていたぐすべりの実を採って食べた事もありましたし、神社の本殿裏側に児童公園があり、学校帰りの子供たちがかくれんぼをしたりして遊んでいました。この公園のはずれの砂地には、アリジゴクと呼ばれるウスバカゲロウの幼虫がいる場所があり、小さな虫を捕まえてアリジゴクに落として遊んだ記憶もあります。又、夏のお祭りの時には、お稚児さんという子供の行う神楽も披露されていました。高島稲荷神社は、高島町の小高い丘の上にあり、冬の時期の1月の天気の良い日には、高島おばけとよばれる蜃気楼を見る絶好のスポットになります。私も何度も見ましたが、高島港の沖に見える石狩湾の対岸の建物が細長く伸びて見えたり、変な建物のような像が見えたり、モヤっとした陽炎のような先に塔のようなものが重なって見える事もありました。高島町は、昔は漁業で栄えた町で、私の小さい頃は、七夕の時、リヤカーの上に載せた山車が沢山でて、近隣の町を周り、ロウソク頂戴と言いながら家々をだずねて、ロウソクをもらい、集めたロウソクを最終日に売りにいってお金に変えてそのお金で、山車を作り回った皆で、浜辺でジンギスカン鍋をやった記憶があります。当時は、沢山の山車が町中を周り最終日には、山車のコンテストもあった位でした。北洋漁業が廃れ今では人口減少でなくなりましたが、再開できれば良いなと思っています。そう言う私も、神社へ行くことは殆どなく、車を買った時にお祓いを頼んだりしたこと位しかありませんが?

神社の焼印1
高島稲荷神社の焼印

高島神社の焼印と解説

上の写真は、高島稲荷神社の焼印の写真です。実際に神社で使っていた落款からデザインをとりました。稲荷神社とは、稲荷神という、本来、穀物農業の神様でしたが、今では、工業、商業、家内安全等の万能の神となっています。又神社の境内には、神使である狐の像があります。お稲荷さんにお参りするときに、油揚げを捧げる話を聞きますが、本来、狐は肉食なので、油揚げを好まないので、この話は、油上げを切ったものが、狐の耳に似ていることからいつの間にかそのような話になったということです。

和歌山市の伊太祁曽神社の焼印

和歌山県和歌山市にあります伊太祁曽神社の焼印を製作いたしました。旧称は山東宮と呼ばれていました。林業の神様であります五十猛命(イソタケルノミコト)
が主祭神で、その姉妹で、樹木の女神様の大屋津比賣命(オオヤツヒメノミコト)と都麻津比賣命(ツマツヒメノミコト)が配神、1月15日の祭時は、卯杖祭と呼ばれて、小豆粥を使った粥占いで、豊凶を占って神楽舞が披露され、この粥を食べると一年間無病息災でいられるそうです。4月の第一日曜日には、日頃の木々の恩恵に感謝する木祭りが行われ林業関係者や木工関係者が多く集まります。
半年に一度行われる茅輪祭(わくぐりさい)では、大祓が行われ、10月15日には稲の収穫を祝う例祭が行われ3基の神輿と子供神輿、稚児行列が、宮内を往復します。神社内には、撫でると首より上の病気に霊験あらたかと言われるお猿石や厄除けになる厄難避け木の俣くぐり、命の水とよばれる境内山中の井戸から湧き出る水は、飲むと病気が治るということで今でも、多くの参拝者が訪れます。
境内で、ときわ山古墳の石室も見ることができます。

伊太祁曽神社の焼印と解説

上の左の写真は、伊太祁曽神社の秋祭りの焼印です。途切れとぎれの外枠と独特な書体の文字が神々しく感じます。右の写真は、主祭神の五十猛神を中心にして両端に姉妹の配神のお名前をはいしております。ときわ会という伊太祁曽神社の
崇敬会もあり、個人1口3000円、法人一口30000円で加入できます。

松江市の須義神社の焼印

島根県松江市にあります須義神社の焼印を作りました。昭和58年に町おこしのために、「須義の子会」を立ち上げてその行事のいっかんとして川に鯉を放流しましたが、その鯉が大きくなり須義神社の前の川を泳いでいます。近くの須義浜では、蓮華祭というお祭りの時に、悪切りという行事を行いますが、この悪切りとは、町ではやり病が流行した時に刀ではやり病を切って直したという云われから、悪いことを切るという意味あいがあります。又、お祭りの出店では、名物の天草と2倍酢で作ったところてんも食べる事ができます。
須義神社を読んだ「諸々のさわりけがれを今更に須々気うらはの清き汀に」という歌も残されています。

須義神社の焼印
須義神社の遷宮記念の焼印

須義神社の焼印と解説

上の写真は、平成19年に行われた須義神社の遷宮記念祭で、神社の修繕端材に焼印をおして、各家庭に記念として配布するために使われたものです。直火式焼印で作りました。試し押しの画像、印面を加熱しすぎて回りまで黒くなっていますが、本来、これ位黒い方が力強くて焼印の印影らしいと思います。

横浜南区の杉山神社の焼印

横浜近辺には杉山神社が幾つか存在します。これは、神奈川県の鶴見川近辺に住む民衆の信仰が、近くの地域に拡大したと思われ、詳しい事はわかっていません。今回、ご注文頂きました杉山神社様は宮元町3-48にあります神社で御祭神は市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)、天照大神(あまてらすおおみかみ)、宇賀御魂命(うがのみたまのみこと)となります。ご鎮座800年を超えた歴史のある神社です。

杉山神社の焼印と解説

杉山神社焼印
杉山神社の四角い焼印

上の写真は製作いたしました杉山神社の焼印をシナベニアに試し押しした画像になります。サイズは40ミリ×40ミリで150Wの電気ゴテ仕様で作りました。

十日町市の白山神社の焼印

新潟県の十日町市にあります白山神社の焼印を製作しましたが、新潟県十日町市には4つの白山神社があります。4つ同じ名前の神社があるとは、思いませんでしたので、どちらの神社かお聞きしませんでしたので、詳細はわかりません。

白山神社の焼印と解説

白山神社の焼印
十日町の白山神社の焼印

上の写真は、十日町の白山神社の焼印の試し押し画像です。試し押しは、白い厚紙に押してみました。75ミリの大きな焼印で300Wの電気ゴテ仕様で製作しました。FAXで送られた原画からのトレースでデザインデータを作成しての製作で、FAXのデザインでは、二重枠の内側の枠の線がかなり細かったので、製作できる太さまで太くしての製作になりました。独特の書体で迫力のある文字ですが、白い余白部分が狭く、変色しないように綺麗に押すのが難しい焼印です。

藤枝市の青山八幡宮の焼印

静岡県藤枝市八幡にあります青山八幡宮の焼印を作りました。青山八幡宮は平安時代に起きた「前九年の役」で奥羽に向かった源頼義、源義家が東北征伐祈願の為に創建しました。お祭りしています御祭神は品陀和気命(ホムダワケノミコト)
応神天皇(オウシンテンノウ)で、本殿は慶長18年(1613年)に田中藩主により再建されましたが、昭和55年(1980年)の不審火で焼失してしまい、その時に藩主が奉納した大絵馬2枚も焼けてしまいました。

青山八幡宮の焼印と解説

青山八幡宮焼印
青山八幡宮焼印の画像

上の写真は、出来上がった青山八幡宮の焼印を木に押した時の画像です。明朝体の焼印は線のメリハリがあり、ちちんとしたイメージを与えます。この焼印の大きさは、幅50ミリで、150W用の半田ごてに取り付けてました。

島根県の太鼓谷稲成神社の焼印

島根県鹿足郡津和野町にある神社で通称「津和野のおいなりさん」と呼ばれており、全国で只一つ「いなり:稲荷」を「稲成」と表記する神社です。願い事がかなうようにとの思いから「稲成」と表記されたそうです。実はこの話には言い伝えられた話があり、その話によるとお城の門番が蔵の鍵をなくしてしまいどこを探しても見つからずにお殿様から「七日まっても出てこない場合はすておかぬ」といわれて一生懸命探しましたが見つからず、思い余って、当時、お殿様以外に参ってはならない事になっていた「お稲荷さま」に内緒でお参りを続けた結果、最後の7日目に自分の家の戸口の鍵の所でチリンチリンという音が聞こえ不思議に思い見た所又、どこを探しても見つからなかった蔵の鍵がそこのあったそうです。門番は覚悟の上、お殿様に事の次第を話すとお殿様から「正直な奴じゃ、もうよい」とおゆるしがもらえた事から、願い事が成就するという話が伝わりいつしか「お稲成さま」とよばれるようになったという言い伝えです。又、太鼓谷稲荷神社は日本五大稲荷の一つとされています。(日本五大稲荷とは、長野県の鼻顔稲荷神社、島根県の太鼓谷稲荷神社、熊本県の高橋稲荷神社、岩手県の志和稲荷神社、福島県の福島稲荷神社、埼玉県の箭弓稲荷神社、大阪市の玉造稲荷神社ですが、五という文字が入りますが7つの神社になります。)太鼓谷稲荷神社は、宇迦之御魂神(うかのみたま)をお祭りしていますが、日本書紀では、倉稲魂命(うかのみたまのみこと)と書かれています。文字からもわかるように「うか」は穀物の意味で、穀物を司る女神さまとされています。皆さんもご存知のようにお稲荷さまの鳥居や建物が赤く塗られているのは、果物や草木が熟すと赤くなる事から豊穣の神様のお稲荷さまが赤く塗られているそうです。それとよく奉納される絵馬ですが、元々は豊穣の神様なので農耕に使う馬を奉納していたところ、いつからか馬の絵を描いた板を奉納するようになり、現在のようなお願い事も書いて奉納されるようになったそうです。メタルアートでも木製の絵馬に押す為の焼印を何度か作っています。絵馬に押す焼印の場合、その年の干支をあしらったものが多いのも特徴です。

太鼓谷神社の焼印と解説

左の写真は、太鼓谷神社の焼印の印面部分の画像で、右の写真は木の板に焼印を押した時の画像になります。焼印の大きさは50ミリ角で、直火式焼印で製作しました。昔から稲成大神様のお供え物として油揚げとローソクをお供えする習慣がありますが、油揚げは、神様のお使いである狐の好物だからと言われています。太鼓谷神社でのお供えは、手水舎前にお供えお揚げが準備されていますので、150円を投入口に入れてお揚げを受け取り(お揚げにはマッチがついています。)本殿、旧殿、命婦社の三か所に燭台があるので、付属のマッチでローソクをつけて、本殿、旧殿、命婦社、本殿裏奉拝所にあるお供物台にお揚げを供えて賽銭箱前で二礼二拍手一礼の作法にて、お参りして下さい。又、お供物台が4か所にあり、すべてをまわる4か所参りという参拝方法もあるそうです。この4か所参りには順番があり、本宮→命婦社→新殿→新殿裏奉拝所の順番でまわるそうです。
秋の大祭は11月14日から16日に行われ、子供神輿や石見神楽等が行われ沢山の参拝客が訪れます。今静かなブームになっている御朱印専用の特性御朱印帖や福くまで、神鉾、破魔矢、干支の土鈴や絵馬等も販売されており、中でもお稲成様の勾玉は女性に人気があります。

神社の焼印について思った事

神社の焼印を集めてページを作っていて思った事があります。一つ目は、神社の数の多さです。日本は八百万の神の国と言いますが、自然の中に神をみいだす日本人ですので、沢山の神様が存在して、沢山の神社があることに痛感いたしました。それと、同じ名前の神社が多いことにも驚きました。今までに、何度か同じ名前の神社の焼印を作ってきましたが、あまり気にしませんでしたが、神社の焼印ページを作っていて、同じ名前の神社が同じ地方に固まっている事に驚きました。神社の焼印の製作は、神社さんから直接依頼があったものであれば何処の神社なのか特定できますが、デザイン屋さんや神社の氏子さんからの注文の場合には、同じ地区に同じ名前の神社がある所では、何処の神社かわかりませんでしたのでページに掲載することができませんでした。あらためて日本人はすごいなと感じました。